裁判所は判決を下すだけの所ではない

旧統一教会に関連して被害者救済新法が議論されている。この件に関しては与野党は対立軸を考えすぎないで、より良いものを早急に成立さえて欲しい。そのような法を司る裁判所が首を傾げるようなことをしていた。オウム真理教や明覚寺裁判の記録を処分していた。先には神戸児童殺人事件の記録も処分されていた。
これらの事件は例外的なものであることには違いないが、裁判所は今後類似の事件が発生すると考えなかったのであろうか。社会的にどれだけ影響を及ぼしたかを考えると、検証する資料としても貴重であることは疑いようがない。今、日本は遅ればせながらデジタル社会を整備構築しようとしている。多少の経費と時間を要するとしても、簡単にデジタル化して保存できる典型的な媒体である。これではいつまでたってもデジタル社会は掛け声だけに終わってしまう。
裁判は過去の出来事へ結論を出すところであろうが、それだけで良いのであろうか。それでは〝他人のフンドシで飯を食っている〟でしかない。将来のために過去の出来事を究明する材料を示すことも大切な仕事ではないか。目の前の仕事しかできない公務員は必要ないし、裁判結果に信頼を持てない。