子供に教えるべき泳法……背泳ぎ(仰向け泳法)

 夏休みがやってくる。子供にとって冒険は必須の遊びだ。危険を恐れて大人は、ますます無難な遊びを求める。結果的にこじんまりとした、特徴のない子供が出来上がる。少子化はそれに追い打ちをかけて、冒険を避けさせる。子供同士の遊びや喧嘩を通じて知る体験を経ないまま、大人になる。人間の衰退の一つが子供同士での体験の無さだ。
 水泳は初体験では、楽しいと同時に危険で恐ろしい体験だ。恐ろしい体験をするときには、基本的な危機管理が必要だ。泳げることは危険防止の基本だ。学校の授業でも基本的な水遊びを授業に取り入れている。カエル泳ぎやクロールなどができることは、それでよいが、まず必要なことは水中潜行ができることだ。間違った水の怖さを払拭でき、延命の時間稼ぎができる。
 溺れる要因の一つは水への恐怖から、体のバランスを崩すことだ。普通に教える泳ぎ方の大半は、うつ伏せの姿勢での泳法が多い。これは体力を必要とすると同時に、水を飲みこんでしまうことが多くなる。悪の連鎖がパニックを呼ぶ。当然の姿勢として、水を飲み込みやすい姿勢だ。そこで、体を反転して上向きの姿勢になったら、息をすることが楽になる。あとは体を浮かせることだ。結果論として仰向けになると、必要とする体力が半減し、手足を軽く動かせばバランスが取れる。水中での延命時間がはるかに長くなる。
 体を反転することには、最初は恐怖心が働く。その反転するための動作を教えて欲しい。反転したときの体のバランス感覚を体験させてほしい。子供が自力で脱出することも大切だが、時間を稼いで救助を待つことの方が、助かる確率は高い。自力での脱出を考えるのであれば、横泳ぎが有効な泳法だ。
(仰向けで水に浮かんでいると、別の世界の一面が見れし、ストレスの解消にもなる。心が落ち着くといつまでも浮かんでいることができる)

日本は主体性を……他国にまでかまう余裕のない世界

 トランプ元大統領が銃撃されて、負傷をした。バイデン大統領は老化が激しいにも関わらず、彼は民主党からの時期大統領に固執している。テレビで見ていてその姿は痛々しい。悲しいことに副大統領のハリスの手腕には期待が持てそうにない。トランプは副大統領候補に若いバンスをあてた。機密書類を自宅に持ち帰った事件では不起訴が確定した。今のアメリカの状況では次期大統領は共和党のトランプで決まりであろう。
 常日頃、トランプは〝アメリカンファースト〟と言っている。中国とは今以上に対決姿勢であろうし、EUには一線を引くであろう。ロシアにはウクライナ問題で譲歩的になるであろう。経済では2国間交渉が主軸になり、より保護主義的になるであろう。今よりは国際協調路線が薄くなり、個別対応が強まる。自国のためなら、〝正義〟はさらに、二の次になる。
 日本に対しては、特に安全保障面での金銭的自立を求めるであろう。日米同盟は、アメリカの中国との関係次第で大きく変化する可能性もある。もともと自国の安全保障を他国に依存するという、常識では考えられないこれまでの日本に問題があった。トランプはこの異常な日本に活を入れてくれることであろう。
 折しも防衛省の不祥事に対して、大量の処分が行われた。内輪の中で〝ママゴト〟をしている自衛隊のみならず、日本全体が置かれている現状が、厳しく問われている。政治をゲームにするのではなく、国の将来を切り開くための場にするための体制を早急に立て直すことが必要だ。政党にも財界にも教育界にもメディアにも、ましてや国民個々の体質構造改革が必要だ。自分の足で歩く必要性が実感となる時代がやってきた。

メディアの実態……[10]前時代の思考で正義を語る

 角川がサーバー攻撃を受けた。KADOKAWA「ドワンゴ学園」の情報も流出したとのことだ。個別企業のセキュリティ強化が必要とともに、経営者のサイバーコストの感覚向上が望まれる。政府も対処のための新制度を進めている。
 政府が動くことを期待する国民・メディアは、いざ動くとなると必ず阻止するための方法や事案を探し始める。チェック機能としての感覚では良いとしても、自分の頭の古さを根拠に反対意見を羅列しているのがメディアである。重大な問題があるとき、憲法を引合いに出して反論する。
 今回、政府がネットワークを監視する考えを出すと、〝通信の自由〟を侵害すると化石的頭で反対する。憲法ができた時代と現在では、世の中は根本的に違ってきている。その頃は通信と言えば、電話・電信か手紙しか無かった。犯罪を犯すにもニクソンがやったように盗聴するなど一対一の情報の傍受だった。現在の通信はネットワークの中で走り回り、どこから発信されたのかも追跡が難しい。しかも情報は傍受どころでなく、瞬時に盗まれ改ざんされてしまう。さらに利用されてしまう。これを前時代の憲法の自由を盾に、人権が侵されると議論するしかできないメディアの時代遅れ。
 専守防衛は国の根本的防衛だと、憲法を盾に専守防衛に固執する。憲法ができた頃は、敵が近づいてきたら打てばよかった。大部分が事前予測できたしそれでも間に合った。アメリカと言う盾に隠れて、自分が何もしなくてよい国際環境だった。現在はミサイルを発射して数分で攻撃を受ける世の中で、何もしないうちに壊滅される。予防的軍備が必要な時代だ。国際環境は、日本的正義が通用しない時代だ。座視していると、憲法にしてやられる。
 日本のメディアは国土と日本人を守るための役割がまず一番であろう。ところが、日本を陥れる役割を正義と言う名のもとに担っている。終戦後の一時期の栄華を土台に、それから抜け出そうとしない。そのころ良かれと思って暴力を振るった左翼の手法がいまだに抜け出せない。国民を人質に政府・行政を悪役にしたて、発展を阻む元凶がメディアだ。前時代的な化石的頭脳を変革しない限り、自由を任せられない。

本筋を逸脱する立憲民主党…解党でもして将来に備えて…

 イギリスで政権交代が起こり、労働党が政権を担うことになった。イギリスの労働党は中道に近い党であるから、前保守党政権と大きな政策変化はないであろう。フランスでも政権交代が起こった。マクロン大統領は議会を解散し1回目の投票では極右の伸長が大きかった。懸念を抱いた与党は極左との選挙共闘を行い、結果的には極左が極右を押さえた。
 日本では東京都知事選が行われ、小池百合子が3選した。SNSを活用し若者層と取り込んだ石丸伸二が、蓮舫を上回り2位につけた。メディアなどは蓮舫を欲していた報道姿勢が見え見えであったが、結果的には当然のごとく消え去った。
 フランス国民は極右の伸長を恐れ、不合理でもある与党と極左の選挙協力を受け入れた。極右政権がEUやNATOの結束を乱し、将来的に混乱を引き起こすことをフランス国民は理解していた。邪道ではあるが必要な選択であると受け入れた。ロシアのこれ以上の横暴を押さえるための一環でもあると取引した。
 都知事選では立憲民主党と共産党が選挙協力をした。大自治体とはいえ、たかが地方選挙で国政選挙ではない。国際的に日本の行末を左右するほどの選挙ではない。国民の不信を抱えている自民党を貶める絶好のチャンスとばかりに、イデオロギーを異にする両党が選挙協力をした。フランス国民が極右を防ぐために協力したのと、立憲と共産が自民党を追い落とそうとした協力の違いは、果て無く意味合いが違う。
 このように目先のことしか視野に入らない野合の政党に、日本を任せられるわけがない。自民党もお粗末だが、この国際環境においては自民党に任せるしかない。自民党は早急に首を洗い襟を正して出直すべきだ。まともな野党は、焦らず急いで将来の日本を考えた政党に成長してほしい。

メディアの実態……[9]改革を阻害するメディア

 今の日本に一番必要なことは〝変革〟である。変革にはトラブルも苦労を伴う。それ故に変革が必要なのだ。苦労が伴なわないものは進歩がないことはわかっているはずだ。日ごろ努力するのは、今よりもよい人生を得たいからだし、そのためには自分を苦しめてでも挑戦する。
 一時期、議論が沸騰したマイナンバーカードの是非も消え去っていたが、この秋までには健康保険証を紐づける時期を迎える。カードの申請率が75%程度、保険証への紐づけが20%以下が現状だ。ここで日本の将来を考える人はどのような行動を起こすであろうか。①昔の全共闘よろしく反対を繰り返し叫ぶ人、②自分を変えないと社会も変わらないと前向きに取り組む人、③何も考えないで過ごす人。一番多いのは③の人であろうか。手法として一番迷惑なのは①である。その代表がメディアである。
 時の政府を批判し善人ぶっているメディアは、物事を考えるときまず否定の材料を探す。探すだけならまだしも、その意見に取りつかれて視野が狭まり、多角的な意見を排除する。狭い視野の中で意見を同じくする仲間を求める。あとはお決まりの批判サロンと化す。頭に血の上ったメンバーはさらにエスカレートする。それを見るしかない国民の哀れさ。
 メディアはカードと健康保険証との二重性を批判する。それを一本化しようとしている意義は認めない。そもそもカードシステムの概要さえも理解していない。批判・反対を旨とする単視眼的メディアに、勉強・研究する姿勢はない。まず、関係者は素直に理解を図ってほしい。根本的目的は、個人情報を一元管理し、多元的活用を進め、煩雑な事務処理を生産性のあるものにすることだ。少子化の進む日本では、生産性を上げない限りいつまでも人手不足だ。国際競争力がますます弱くなり、生活は苦しくなる。
 改革を進めない限り、日本の将来は暗い。人それぞれに、苦行が必要なのだ。それを目先の快楽だけを追う体質に塗り変えたのがメディアだ。戦犯として暴かれるのはいつだろうか。

ディアの実態……[8]芸人をスポイルし、芸人にジャックされたメディア

 テレビで芸能らしき番組が少なくなった。芸能で庶民に最も親しまれてきたのは、漫才と落語であろう。表面的には漫才はM-1などがあり、一見人気がありそうに見えるが、実態は悲惨だ。登竜門としてのM-1は実態は漫才ではなく、芸人養成番組でしか無い。20年近い年間王者を産んでいるが、漫才を生業としている人は僅かしかいない。彼らの多くは消えてしまった。生き残った者は何をしているかは、視聴者はよくご存じであろう。
 自分の芸は忘れ、互いに他人の桜となる役割をひたすら務めている。見ていて気の毒になるが、彼らは本気でMCを目指して、恥をしもんでいる。その努力の結果、一握りのものが億万長者に出世している者もいる。大半は、番組の賑やかしとして、いつの間にかブラウン管から消え去る。テレビ局はとっかえひっかえ局相互に入れ替えて出演させる。一部の高額ギャラ者を除いて、生活を人質にタダ同然で利用する。
 いつの間にか、どの局も同じ手法であるために、視聴者は目の前にさらされるものがスタンダードであると刷り込まされる。いつかのジャニーズのように同じ内容はどの局でも行われる。ジャニーズの場合はプロダクションが主導権を取りテレビを牛耳ったが、芸人の場合そのような後ろ盾は強くない。そこでは、安価で手軽な駒として芸人が利用される。
 いつの間にかこの芸人スタイルが標準となり、視聴者の標準となった。テレビの安易な企画がまかり通り、高額な芸人を生み出し、消耗品としての芸人を乱造した。彼らに番組の企画・出演者などの主導権を奪われ、脆弱化した視聴者を人質に取られ、芸人にテレビは乗っ取られた。
 かくしてテレビは、無芸大食の芸人のサロン・生活の場となった。漫才なんて、落語なんて、あほらしくてやってられない。素人の作ったユーチューブにも劣る番組が横行する。芸人が芸を忘れ、テレビは使命を忘れ、すべてのジャンルの番組がオチャラケ番組と化した。

プーチンの失敗……中国の不満を煽った

 ロシアのプーチンが北朝鮮とベトナムを訪問した。北朝鮮とは、有事の際相互援助をする「包括的戦略パートナーシップ条約」を結んだ。ウクライナ戦争での弾薬・武器不足から金正恩の策略に簡単に引き込まれた。北朝鮮の砲弾は不発弾も多く、砲身を傷つける物も多いという。味方の期待できないロシアとしては〝藁をも掴む〟の観である。要するに〝嫌われ者同士の自己満足〟である。続いてベトナムを訪問したが、ベトナム首脳の喜べない表情が印象的だった。ベトナム戦争時代、ソ連から武器などの援助を受けた恩義がいまだに、首の皮をつないでいる程度だ。
中国の皇帝はいまだに、過去の王朝の朝貢属国思想から抜け出せない。北朝鮮もベトナムも過去の朝貢国だ。北朝鮮はともかく、今のベトナムには過去の属国意識は払拭している。中国と欧米は、基本的には対立しているが、特に経済面では相互依存の関係が深い。昨今の不況を考えると、欧米と決別して国を保つことができないことは、遅まきながら気づいてきた。さらには発展途上国をいつまでも引き止め続けることが難しいことに直面してきた。ロシアの無謀がグローバルサウスを主導するうえで支障をきたすことが見えてきた。プーチンは中国が望まない北朝鮮との関係強化で、無謀の庇護者である中国の不興を買ってしまった。おまけに中国の庭・ベトナムまで出かけてしまった。
基本的には、中国とロシアはいつまでも友好的にやっていけない。ロシアは西に行けば欧州から、南に行けばアラビア圏から、東に行けば中国から牽制される。地政学的に避けることのできない現実だ。四方に出るためには武力を持って対処してきたが、ことごとく失敗に終わっている。友好的に出るだけの遺伝子がロシアにはないのだ。中国がアメリカと手を結ぶことも、非現実的言えない世界になっている。ロシアはもう一度革命を経るか、中国に依存しなくては再生が難しい国になっている。

人手不足が技術革新を産む

 「育成就労法」は成立し、技術実習が廃止になった。日本の外国人数は200万人を超えている。あちらこちらから人手不足が叫ばれている。少子高齢化におかれる社会状況はその名の通り、老人で溢れ、子供の遊び声が聞こえない、働き手のいないサービスの低下で低迷の環境は十分そろっている。自らはやる気がなく、外国人労働力を当てにする売国的行為でダブルパンチの国難である。
 イギリスで起こった産業革命は、人手不足に起因している。技術革新によりそれを克服し、安価で大量の製品(綿製品)を作り出した。中国(清)へ売ろうと計らったが意に反して売れなかった。そこでアヘン(麻薬)を売り、今度は大成功であった。結果的にはアヘン戦争が起こり、清国は列強に浸食された。この状況は教科書で習った通りである。
 何故、イギリスの繊維製品は安価であるにも関わらず、中国で売れなかったのであろうか。今も当時も世界一の人口を抱え、GDPも世界一の清国には需要があったことは間違いない。清国には十分な製造人員はいて、まかなう手工業は抱えていた。圧倒的に思えるイギリスと清国の差がある繊維製品市場から撤退しなくてはならなかった原因は何か。それは労働力だ。清国には〝タダ〟同然の豊富な労働力があった。技術革新もタダには勝てなかった。しかし清国の列強に浸食されるより、もっと決定的な敗因は、豊富な労働力により、かえって技術革新の土壌を産まなかったこと。
 今の日本は形は違うが、当時の清国と似ている。労働力がないと世間はムードで操られているが、眠っている労働力は沢山ある。それを発掘する気力も胆力もないことに低迷の一つがある。すぐに外国人労働力を導入する政治・経済界の長期的視野の欠如が一つ。最大の問題は日本人の他力依存心がますます助長されること。活力も創意工夫の気概もなく、それを一番必要とする〝技術革新〟の気概を阻害すること。少子化を避ける意思を放棄した国民にできることは、自らの責任と悟って、技術・人心革新を起こさない限り、未来は清朝末期に陥る。

「東京都知事は無能な人がなればいい」…地方で思うこと

 東京都知事選が告示される。総勢50人の立候補が取りざたされている。いくら大都市とはいえ、ばかげた人数である。名の売れた候補者の中にも、国政と地方政治の区別がついていない頭の硬い人もいる。
 テレビのキー局は東京にある。地方のテレビ局は系列に加わり、キー局の番組を受けて自局の体面を繕っている。要するに地方局は自力で、一日の番組を企画することが能力的にも財政的にもできない。都知事選は地方の人々とは無縁な選挙であるにも関わらず、さも大切なものであるかのように連日報道される。まるで結果が日本全国民に関係があるかのように誇張されている。もちろん地方の人も、政局を考えると日本中に関係があることは理解している。しかしテレビを前にして空しい。
 日本の抱える問題の一つに、〝東京一極集中〟がある。大局的には、世界に誇れる都市としての東京の繁栄は、国民も望んでいる。半面、地方の衰退ぶりに国民は嘆いている。地方交付税を受けなくて済むほど東京は豊かだ。その豊かさでインフラ、福祉などが充実する。それに控え地方は貧しい。貧しいだけでなく、東京へ人材を吸収される。豊かで利便を楽しめる都民が、「物価が高いや支援がされない」と言う言葉を聞くと「何を贅沢言ってる」と思ってしまう。得られるパイが少なくなった日本は、東京が豊かになることは、地方が貧しくなることに直結する時代だ。
 〝東京をぶっ壊す〟政治家の出現はないのであろうか。〝自民党をぶっ壊す〟と言って首相になったのは小泉純一郎だった。冒頭で国政と地方政治の区別がついていないと批判したが、都政の失敗(?)によって東京一極集中に風穴を開ける政治家が誕生するのも一興だ。国民の目が東京を離れ、地方に向くのであれば積年の問題の解決への一歩をふみだすことになる。皮肉や悪態をつきたくなる夢のない世の中だ。

夫婦別姓……子供抜きの議論でいいのか

 経団連の戸倉会長が夫婦別姓を要求する会見をした。ビジネス上、トラブルが増えているとのこと。パスポートの記載と実名や、商談などの時の解釈の遅延などを挙げている。そのようなことがあることは事実であろうが、日本の伝統文化を考えた時、そこまでの問題なのであろうか。まず、思うのは経団連が音頭を取ることの、不自然さである。賃上げを要求された、保守派への仕返しを感じてしまう。
 男女平等とか女権の回復とかLGBTなど、性に関する意見が出ると、改善しなくてはならない意識を持ってしまう。夫と妻が対等であることは、当然の基本的人権だ。その人権の普及は多大な効果を生み出す。しかし、人間が動物であるという個体的差異を考えるとき、みな同一と考えることは将来に対して、多大な影響を及ぼす。自由を得た人間は苦労を忌避する。煩わしい社会を嫌い自由に個人の生活を求める。その一例が、婚姻を避ける・晩婚化する現象だ。少子化の最たる原因であることは、誰も理解しているが、破滅への道を突き進んでいる
 夫婦別姓にした場合を議論するとき、議論が夫と妻に集中して賛否が論じられている。二人だけであればどうでもよいかもしれない。商売上では、夫婦を証明することのトラブルのほうが反って増えるかもしれない。最大の問題は、子供である。子供はどちらの性を名乗るのであろうか。世帯主の姓を名乗るのが基本だが、一度崩れた堰は必ず崩壊する。夫と妻の間には、子孫が生まれた段階で確執が生まれる。まるで、生まれた段階で、離婚したときどちらが引取るかを決めるような苦渋がもたらされる。一番考えなくてはならないのは、将来を生きる子供のことである。巷での議論は寂しく、自分だけの自由な発想しかない。物心ついた子供は、自分の姓が片方の親であることに疑問を持つことは間違いない。
愛する母親であるが父親を、愛する父親であるが母親を、選らばざるを得ない運命を呪います。