少子化問題--〔14〕子供文化の崩壊と創造性の欠落

 成長は、不測の事態を経験し、それに対処する能力を身に着けることで達成される。分かり切ったことや経験済みの体験だけでは、成長どころか退歩する。引きこもりや不登校などで、外圧のない世界に閉じこもることは、成長にとっては最悪である。
 大人社会の環境で育てると、大人の都合が優先されて、子供は従順に飼い習わされる。自分の事しか考えられなくなった大人は子供から自立したいがために、命令し放置する。ゲームやスマホという便利な道具が出来たことは、子供の為でなく大人のためには絶大な道具となった。小さな子がネット環境を驚く能力で渡り歩くことを、自分の能力不足が、秀でた能力を持っているかの錯覚を与える。ネットを駆使する能力は、間違いなく必要な能力であることは疑わないが、それが受動的で創造力を涵養しないことを放置することに、その場しのぎの大人には無関心だ。
 何処の国にも〝鬼ごっこ〟・〝はないちもんめ〟・〝チャンバラごっこ〟のような素朴な子供の遊びがある。そこには敵対する物への対処法や正反対の仲間を作る方法がある。そして何よりも大切な自分では予期していない事態が発生することがあり、それに対応すべき能力を考えさせる場がある。
 スポーツには団体競技や一対一で競う競技や記録を競う競技がある。いずれにしても自分だけの都合では成り立たなく瞬時の対応をもとめられる。多くの仲間や遊び仲間があれば、競い合い向上を生む。
 ビジネスの世界は変革が激しい。一生の内に何回転職・職種変更を求められるかは分からない。終身雇用で過ごせた大人は、これから子供が置かれている社会環境が激変することを考えなくては、人生を全うしたことにならない。勉学も必要だが変わりゆく社会を渡り歩くために必要な適応力を身に着けさせなくてはならない。これまた子ども同士の遊びを通じて、ケースバイケースに応じて対処する能力を付けなくてはならない。
 小さいころから自分の城に閉じこもり、ひたすら勉学に励み社会に出る。身の回りに遊び相手がいないがために、怒りや矛盾や喜びを味わうことなく成長し社会に出る。そのような環境が国際社会基準を上回る人材になれる確率は低い。創造力は未知との遭遇がない限り創出できない。