メディアの実態--[3]報道の不公平と価値判断

 最近、日本人のメジャーリーガーの活躍が多くなった。嬉しい気分だ。これもメディアが報道しないと、知ることができないことだ。大谷翔平の活躍は同じ日本人として誇らしい。それに比べて、大谷ほどではないが活躍している選手もいる。それらは、数字結果として列挙にとどまることが多い。
 NHKと言えば、公共放送だ。ここ数年のメジャーリーグ(MLB)の放送が気にかかる。端的に言えば、大谷のいる球団(現在は、ドジャーズ)の試合は必ず放映される。日本人投手の在籍する球団の試合は投げるときには放映されることもある。野手の在籍する球団の試合も放映されることもある。放映される試合に日本人選手が出場しないときは、どのように考えればいいのだろう。
 単純にMLBの試合を見たくて見ている人は、どれくらいいるのであろう。日本もワールドシリーズで優勝するくらいに、鍛えられて選手の技量も向上した。このような言い方はしたくないが、余りMLBの試合で学ぶことはなくなった。腕力では劣るが技量では日本が勝っている。このような状況で公共放送であるNHKが長々と放映していいのであろうか。NHKはMLBの協賛機関となり下がったのか。大谷以外の選手の活躍ももっと公平に報道すべきではないのか。プロ野球(NPB)の放映は、身近なファンとしては放送が少なく寂しい。
 NHKに限らず、他のメディアの報道の仕方を考えないと、個人的な報道機関と思われても仕方ない。〝大谷、大谷…〟でうんざりだ。出演者全員が、自分の持ち物であるかのような自慢報道をする。そのようなことは、打ち合わせ時間や、プライベートな時間で楽しんでほしい。大谷は好きだが、軽薄な出演者たちのために、大谷が嫌いになる。誠也は、吉田は、今永は、菊池は、ダルビッシュは、…はどうしたのだ。
 大谷報道にかまけて、ニュース報道の公平性や価値判断がくるっている。視聴率を考えすぎ、国民の価値判断や努力の過程を軽視している。
 「大谷、がんばれ!」、「メディアは、託された役割を果たせ!」。