被爆を、特権として利用する広島・長崎市長

 広島市が平和祈念式典を行った。平和を願うことは立派だが、実態は空虚なものになってきている。海外の国・地域の招待で、ロシア・ベラルーシ・パレスチナは招待されなかったが、イスラエルは招待された。長崎市はイスラエルは招待しないと決めた。両市の差異はイスラエルの招待である。
 広島市は式典の本質を〝核兵器〟に置いたのであろう。確かにイスラエルは核保有国だ。核保有で言えば、アメリカ・フランス・イギリスは保有しているから招待すべきではないことになるがしている。〝戦争当事国〟で考えるとイスラエルもパレスチナも招待すべきだはない。ベラルーシを招待しなかったことは、戦争協力国と考えてのことであろう。
 メディアは式典ごとに、時の日本国首相に対して核廃絶の気概の無さを批判する。平和式典で自国の首相をこき下ろすだけでメディアの責務は果たされるのであろうか。
 広島市や長崎市が、いつまでも平和式典を続けたいのであれば、式典の趣旨を明確にすべき時期が来たのではないか。〝核兵器〟なのか〝戦争をしない〟なのか、あるいは〝被爆者を弔うこと〟なのか。被爆した両市が行う以上は核兵器と被爆者への鎮魂がテーマであろう。戦争をしないことであれば、8/15の終戦記念であろう。自分のテリトリーを増やすために欲張った式典ばかり目指している。核保有国は招待しないことによる式典にすると自己満足の式典になるであろう。核保有国の民意を、核廃絶の意識の向上に向ける式典をしない限り、平和式典は形骸化したもので終わるであろう。