人は呼称によって、その人を判断することが多い。呼び捨てにすることは一般的に悪印象を与えるし、〝さん〟付けすると親近感を抱かせ、〝氏〟を付けると他人行儀な感を抱かせる。例えば、アメリカのトランプを言うとき、トランプ、トランプさん、トランプ大統領、トランプ氏などがある。一般国民にとってはどう呼ぼうがあまり関係ないことが多いが、メディアにとっては適切に使い分けすることが求められる。
未だに、中居正広を〝中居正広さん〟と呼んでいるメディアが大半だ。彼の客観的事実は犯罪者だが、起訴されていないから呼び捨てにはできない。しかしタレントでもない彼と同等の一般犯罪者に〝さん〟付けで呼ぶことはない。グレーの人に対しては〝氏〟付けで呼ぶことが一般的だ。〝中居正広氏〟と言えないメディアには、彼のメディアに対する貢献(?)があったからであろう。まさにそこにメディアの感覚のズレを感じざるを得ない。タレント石橋貴明がメディア女子社員に破廉恥なことをした報道を行ったが、何の疑問もなく〝石橋貴明さん〟と報道した。
テレビメディアに登場する人に、アナウンサー、キャスター、コメンテーターや招聘されたジャーナリスト、大学教授や識者がいる。彼らが使う呼称は千差万別だ。特にニュース性のある者には役職で呼ぶべきだ。石破さん、石破首相の使い分けをしない。特に政治は役職で仕事を行っているわけで、石破首相と言うべきだ。同じ番組で同じ人物がプーチンと言ったり、プーチンさんと言ったり、プーチン大統領と言う人には知能指数を疑う。彼ならほとんどの国民は彼が大統領であることは知っているから問題ないと無意識に思っているのであろうが、知りもしない政治家首相をを〝~~さん〟と言われても、国民は彼の地位的立場を理解できない。
出演者などは、自分の尺度で自分の思いを述べて、視聴者がどれだけ理解しているかには思い至らない。呼称一つで、彼がどのような人物であるかが推しはかられる。それを主催者自身が乱用し、招聘される人も乱用している。視聴者はよく知らない人には、呼び捨てにされれば悪印象を抱き、さん付けされれば好印象を抱く。問題なのは、メディア登場人物が視聴者を自分の思想に誘導していることだ。