参議院選挙の投票が7月20日にある。毎回選挙のたびに投票率の低さが問題となる。国民が参加する制度であれば、3分の2程度の投票率であることが民主主義には必要であろう。現実は5割の水準に甘んじている。
昨今のリベラルの流れの中の一つに若者の政治参加が叫ばれている。18歳の有権者に被選挙権を与えるべきとの意見もある。参議院の被選挙権が30歳であることには疑問も感じるが、社会経験のない20歳前後の人に国の政治を任せることは、理想主義に走り過ぎている。
現実に戻ると、若者(10~20代)の投票率が30%半ばであることは、何を表しているのであろうか。若者は政治は老人が取り仕切っていて、若者の意見は反映されないという。自分の一票が政治に反映されることはないと言う。欲しいものが比較的自由に得られてきた子供としての成長できた家庭・社会環境が、短絡的に思えばすぐに実現されると言う考え方に育てている。学問が16年の歳月を経ても簡単には成就できない経験を積みながら、政治・社会にはすぐに思いを実現しろと迫る。その無理な要求が簡単でないことを知り、無関心を装って逃避する。
一方、高齢者の投票率は60%台を維持する。若者の倍である。しかも少子高齢化社会の名の通り、票数で考えれば2倍どころか4倍を超える計算になる。政治家は職業に一つだ。国民は理想を政治家に求める傾向があり、高齢者が多い層に政治が傾くと考える。ますます、取り残された孤独感・無力感にかられる。政治家だって、職業人だ。職業を失うことを考えるわけがない。票の多い高齢者層の票で当選し勤続を続けることの何が悪い。国民の誰もがそのようにして、自分の存在を維持しようと努力しているではないか。自分は努力しないで、政治家には努力を求める。
今行われている政治は、現在のための政治だけではない。将来の社会のための政治が大きな比重を占めなくてはならない。一番将来のある若者が、実際は老人のように明日の無い社会の視点で選挙をとらえている。明日がないから選挙に行く必要もない。すぐ与えられないから、それを待つ忍耐もない。メディアに汚染された環境で、リベラルぶって、自分を守ってくれるのは日本という国であることを忘れている。
最悪はメディアの報道である。20日は連休の中日で投票しにくいという。街中のインタビューでは投票をしにくい意見ばかりを流す。期日前投票はめんどくさいしやり難いと回答すれば、ただただ肯定する。現実には期日前投票の方は簡単で、メンタル的にもやり易い。投票日の設定が悪いことばかりを報じて、期日前投票の勧めは報じるが、それを一歩進めた投票に結び付く報道はしない。投票率の低さを論じ合いながら、投票率向上の論点を示すことのできない無能番組と化す。