参議院選挙も佳境にさしかかった。公示当初、政治とカネが依然として論点の比重を持っていたし、メディアは意識的に論点となるよう誘導する姿勢であった。しかし、物価問題に押しつぶされて姿を消していった。好ましいことである。過去のことを争うほど国際情勢は穏やかではないし、政治の役割でもない。しかし国際情勢を論点とするほど国民もメディアも成熟していない。コメの価格の高騰もあって論点は物価高にシフトした。
消費者にとって物価が高いことは有り難くないのはよくわかる。しかし物価が低いことの影響はどのように理解されているのであろうか。生活が楽になる気がすることは分かるが、豊かになることはない。そのことは1991年にバブルが崩壊して、約30年もデフレ経済を経験した国民は肌で感じてきたはずだ。収入は増えないし、世の中は活気がない。将来の夢を持てなく、今の刹那に生きる動物の生活に逆戻りした。悪いことにはその瞬間だけでなく、将来を考えない弊害を残した。国力は落ちる一方で、それを取り戻す活力も失っていった。少子化はその最たる結果だ。
極端なインフレ(物価高)はいけないが、適度のインフレは世の中の成長の証だ。過去の景気の良い時期を見ても、好景気=物価高は現実だ。物価高はマイナス要因ではなくプラスの成長要因だ。なぜ国民は物価が高いから政治が悪いと言うのだろうか。なぜ政治家は物価が高いから政府が悪いというのか。特に野党は生活が苦しいから減税しろという。減税で片づける志向は百害あっても一利なしのマイナス思考だ。どうして物価上昇分は創意工夫などで補うという発想ができないのか。それができない野党やメディアは国を亡ぼす反日主義の頭目だ。
国民までもこのようなマイナス思考回路で政治を考えているのであれば、まさに日本沈没である。税金はしっかり納めて、それを上回る収入を得る生産活動に一人一人の国民が転換しない限り、いつまでたっても現状は打破できない。