自国のための発想がないメディア

 約1カ月後に上野動物園のパンダが中国に返還され、日本からパンダが居なくなる。好きなものが居なくなることは寂しいことには違いない。イヌやネコなどのペットが居なくなることを考えても別れはつらいものだ。早速メディア(特にテレビ)は、街中に出てインタビューする。当然、居なくなって寂しいだの、思い出だのを語ってくれる。それが嬉しくてたまらないメディア。
 現在の日本とパンダの故郷の中国との関係は、戦後の歴史の中でも悪いことはほとんどの国民は知っているであろう。そして、優しい国民は関係が改善してほしいと思い、改善するであろう発想でのんびり過ごしている。このような国民性は見方によっては、美徳ともいえる。しかし、その美徳が報われているのであろうか。
 20世紀末から日本は、中国へは金に換えられないほどの支援を続けてきた。ODA、技術支援、資本投資など今日の中国の発展に貢献してきた。今世紀に入り、局面は変わり感謝どころか技術窃取でもって、お礼をされるに至った。尖閣へは、漁船・海警・解放軍などを1日も休みがないほど派遣してきて十数年になる。国際法を破っている張本人が、相手は国際法に準じていないと狂ったことを言う。強国とうぬぼれながら、子供じみたしっぺ返しをする。子供のように国連などに泣きつく。
 さてパンダ。中国は相手の上げ足を取って何倍返しを常道とする。高石答弁以来、手を変え品を変え日本たたきを展開している最中だ。些細に見えるがパンダの貸与も大きな武器だ。特に心優しい日本人には大きな人質だ。パンダごときで、国の政策に利用され手はならない。国民の気持ちは気持ちで結構だが、戦いには弱点を見せてはならない。弱点として利用されてはならない。メディアが何も考えないで報道することが、相手に利用されていくことに気づかない。長年、政府を批判することが正義と考えてきたメディアには、政府の立場をフォローする発想がない。売国奴メディアの責任は大きい。