批判ばかり続けた者の末路…野党・メディア・ジャーナリスト

 衆院選で野党は大敗した。特に中道改革や共産党・れいわは惨敗であった。彼らの敗因は国民の気持ちを掴みきれないことであったが、その原因は批判をするだけで方向性を提示できなかったことにある。時の政権を貶めることは、政権を奪うための常とう手段であるが、それがもたらす結末は、相対的に国の発展を阻害することに国民が気づいてきたからだ。国民ファーストと叫ぶのと裏腹に、国民軽視の典型である。
 参院に立憲民主を残し、衆院だけ中道を設立する発想自体保険の発想でしかない。中道は空中分解して元の鞘に戻るしか生き延びる方法はない。終わってい見れば弱体化した立憲民主と、弱くなった公明の姿であろう。狭い範囲ではあるが政策を示した国民民主とみらいに国民は光を感じた。しかし政治はニッチやベンチャーでは行えない。将来の日本のためには政権を任せるに値する野党が成長することだ。批判の野党ではなく、政策の野党としてであることは言うまでもない。
 SNSの時代になって久しい。メディアの中で新聞の凋落は激しい。逆に言えば、よくぞ経営を維持している。体面を保つために販売できる見込みのない紙面を毎日大量に印刷している。紙面では披露している浪費批判を、自ら行っている。数十ページの紙面で読みたくなる記事は僅かである。甚だしい浪費である。温室ガスの削減の記事を書きながら、大気汚染の元凶になっていることに気づいているのだろうか。新聞は自費出版であるから、何を書こうが干渉すべきではない。しかし大昔の時代背景を考察をすることなく、時代にそぐわない論調を続けることは公害である。昭和の左翼のように現実的行き場のないものが、今でいうテロ手法に走ったのと変わらない。いまだに誤った正義も押しつけをしている。国民が単に紙の情報に慣れているだけで、内容に魅力を感じている時代ではないことに新聞は気づいているのだろうか。
 テレビも私物であることは新聞と変わらないが、決定的な違いは公的に電波を割り当てられていることだ。度の過ぎる偏向は許されない。しかし新聞社の系列下にあるテレビは新聞の延長で、ルール違反を繰り返す。自分の意思を陰に陽に押し付ける。公共放送のNHKも例外ではない。国民もSNSという手段を手に入れ、テレビを必要としなくなった。長年の怠慢と欺きの代償は高くつくであろう。
 雑誌などが衰退してジャーナリストの発表の場は新聞・テレビに絞られてきた。メディアは自分の主張に合うジャーナリストしか起用しない。猿回しのメディアと提灯持ちのジャーナリストが結託して国民を騙してきた。彼らの罪は重いし、これからは通用しないことは明らかだ。SNSで発信しても民衆の内容と大差はない。
 高市自民党に負けたのは、相手を貶めてしか方法を持たない野党同様、その野党を勝たせたい一心の新聞・メディア・ジャーナリストなどの売国奴的輩であった。世は変転の時なのだ。