高校生に社会学習を行う体勢はできているのか?

 沖縄県辺野古沖で、「平和学習」と名乗る修学旅行の同志社高校生を載せた漁船が転覆し高校生1人と船長が死亡した。当日は気象状況は悪かったにも関わらず出港した。船長は無許可で数年前から今回のような運航を続けていた。さらに保険にも未加入でもあった。悪天候でも企画を強行しなくてはならない事情は何であったのか。修学旅行という限られた機会という理由は通用しない。十数人の生徒の学習に教員が引率しなかったことは学習の性格がら致命的だ。
沖縄県は左翼思想の強い県である。全国の教育現場も同様である。辺野古は国が推進する米軍用軍事基地であり、戦争反対に凝り固まった左翼には、善悪に関係なく拒否反応を示されている。彼らにとっては、国が起こなうこと全てが悪と植え付けられている。ここでの平和学習は、辺野古(国)は悪であるの一方通行で、それの必要性は一言もなっかたであろう。学習とは肯定と否定の両面を教えることである。そのような柔軟性の無い船長に企画を他人任せで実施した学校の責任は重大だ。

 昨今、学校での社会人リテラシー教育の必要性が叫ばれ、実施もされている。その項目内容は多くが家庭で行うべきものが大半である。生活に追われて子供の相手が手薄になる。貧しい時代は子供は否応なく外に出て友達と遊び、社会を体験した。善で喜び、悪に怯えた。そこには当然、社会学習があった。現在は一人でも時間を費やすスマホ・ゲームなどの術を持っている。親は自分の都合で、スマホなどを与え自分の自由を作っている。(子供を設けていることには、心から尊敬の念を抱きます)
 正確な知識のない教員が、思想を乗り越えて生徒を教えることは無理がある。家庭では学校で教えるものと勘違いして、真実を教えない。結局、子供は両者から突き放されて転覆する。