「東京都知事は無能な人がなればいい」…地方で思うこと

 東京都知事選が告示される。総勢50人の立候補が取りざたされている。いくら大都市とはいえ、ばかげた人数である。名の売れた候補者の中にも、国政と地方政治の区別がついていない頭の硬い人もいる。
 テレビのキー局は東京にある。地方のテレビ局は系列に加わり、キー局の番組を受けて自局の体面を繕っている。要するに地方局は自力で、一日の番組を企画することが能力的にも財政的にもできない。都知事選は地方の人々とは無縁な選挙であるにも関わらず、さも大切なものであるかのように連日報道される。まるで結果が日本全国民に関係があるかのように誇張されている。もちろん地方の人も、政局を考えると日本中に関係があることは理解している。しかしテレビを前にして空しい。
 日本の抱える問題の一つに、〝東京一極集中〟がある。大局的には、世界に誇れる都市としての東京の繁栄は、国民も望んでいる。半面、地方の衰退ぶりに国民は嘆いている。地方交付税を受けなくて済むほど東京は豊かだ。その豊かさでインフラ、福祉などが充実する。それに控え地方は貧しい。貧しいだけでなく、東京へ人材を吸収される。豊かで利便を楽しめる都民が、「物価が高いや支援がされない」と言う言葉を聞くと「何を贅沢言ってる」と思ってしまう。得られるパイが少なくなった日本は、東京が豊かになることは、地方が貧しくなることに直結する時代だ。
 〝東京をぶっ壊す〟政治家の出現はないのであろうか。〝自民党をぶっ壊す〟と言って首相になったのは小泉純一郎だった。冒頭で国政と地方政治の区別がついていないと批判したが、都政の失敗(?)によって東京一極集中に風穴を開ける政治家が誕生するのも一興だ。国民の目が東京を離れ、地方に向くのであれば積年の問題の解決への一歩をふみだすことになる。皮肉や悪態をつきたくなる夢のない世の中だ。