角川がサーバー攻撃を受けた。KADOKAWA「ドワンゴ学園」の情報も流出したとのことだ。個別企業のセキュリティ強化が必要とともに、経営者のサイバーコストの感覚向上が望まれる。政府も対処のための新制度を進めている。
政府が動くことを期待する国民・メディアは、いざ動くとなると必ず阻止するための方法や事案を探し始める。チェック機能としての感覚では良いとしても、自分の頭の古さを根拠に反対意見を羅列しているのがメディアである。重大な問題があるとき、憲法を引合いに出して反論する。
今回、政府がネットワークを監視する考えを出すと、〝通信の自由〟を侵害すると化石的頭で反対する。憲法ができた時代と現在では、世の中は根本的に違ってきている。その頃は通信と言えば、電話・電信か手紙しか無かった。犯罪を犯すにもニクソンがやったように盗聴するなど一対一の情報の傍受だった。現在の通信はネットワークの中で走り回り、どこから発信されたのかも追跡が難しい。しかも情報は傍受どころでなく、瞬時に盗まれ改ざんされてしまう。さらに利用されてしまう。これを前時代の憲法の自由を盾に、人権が侵されると議論するしかできないメディアの時代遅れ。
専守防衛は国の根本的防衛だと、憲法を盾に専守防衛に固執する。憲法ができた頃は、敵が近づいてきたら打てばよかった。大部分が事前予測できたしそれでも間に合った。アメリカと言う盾に隠れて、自分が何もしなくてよい国際環境だった。現在はミサイルを発射して数分で攻撃を受ける世の中で、何もしないうちに壊滅される。予防的軍備が必要な時代だ。国際環境は、日本的正義が通用しない時代だ。座視していると、憲法にしてやられる。
日本のメディアは国土と日本人を守るための役割がまず一番であろう。ところが、日本を陥れる役割を正義と言う名のもとに担っている。終戦後の一時期の栄華を土台に、それから抜け出そうとしない。そのころ良かれと思って暴力を振るった左翼の手法がいまだに抜け出せない。国民を人質に政府・行政を悪役にしたて、発展を阻む元凶がメディアだ。前時代的な化石的頭脳を変革しない限り、自由を任せられない。