メディアの実態……[14]自分に酔ってしまう

 夢中になることは必要だ。夢中になることの危険性の一つに周りが見えなくなることがある。最近のメディアには、夢中になることによって、ことを済ませる手法が多くなった。主には芸人・タレントを使って必要以上に盛り上げる。問題の一つはアナウンサーやディレクターどの制作者側の者がタレント化して、芸人と笑いを奪い合う場面が増加したことだろう。制作者側は冷静約・客観的な立場を失ってはならない。
 今や、大谷翔平を知らない人はいないくらいの時の人となった。彼自身の研鑽努力と先祖によって与えられた資質の賜物である。彼自身がタレント人ごとく振舞うこともなく、自然に対応している。敬服する。子供の世界ではともかく、大人の世界では、そろそろ彼が画面に登場すると目をそむけたくなる人も増えている。ましてや彼をネタにカラ騒ぎをしているテレビ制作者や出演者を軽蔑するようになった人も増えている。彼自身は、知らず知らずのうちに、忌避され嫌われる人間にされてしまう。一番の被害者は大谷翔平自身とも言える。
 視聴率第一主義に陥ったテレビは、もはや公的報道機関としての役割を担っていない。スポーツの世界も同じテーマから抜け切れないように、政治の世界でも、根本の日本を維持反映させる思想は皆無で、芸能的感覚で取材報道する。つまり、どうすれば視聴者を引き込めるかが優先する。それはまさに酔っ払い運転そのものだ。酔っ払いなら、醒めると正気になるが、メディアはもはや覚せい剤常用者のごとく、醒めることなく深みにはまっていく。正義のつもりが、その根拠が狂っている正義は危険そのものだ。