巨人の阿部監督が辞任した。市井の出来事に社会の混迷を見る
①兄弟げんか
兄弟げんかは複数の兄弟が居ると必然的に起こることだ。一人っ子で外圧を受けないより、一層人を育てる。問題はその原因により、如何に折り合いをつけるかの理性だ。
②親の仲裁
兄弟げんかは、その原因と程度により親の仲裁が必要だ。まず話して聞かせる。残念なことに話を聞かない子どもが増えているのが現実だ。親には小さいころから話して納得させる努力と実績が必要だ。それが無いと腕力に頼ることになる。
③子供の対応
子供は根底に親が叱るのは、自分を考えていることだという気持ちを持たなくてはならない。一呼吸が大切だ。即座に無機質なSNSに依存してしまうことは、悪いことではないが、配慮なくそれにすがるのは生活態度の欠落だ。
④児童相談所
相談があると対処することは義務であり必要なことだ。多忙なこともあろうが、即座に一方の意見だけで、警察に通報することは人権を考慮して慎重でなくてはならない。世間を意識して対処したことに重きを置く風潮は問題だ。
⑤警察
事案を受ければ動くことは当たり前だ。そこでは偏りの無い事情徴収が行われたのだろうか。本人・当事者は当然だが、母親に客観的な話は聞いたのだろうか。家族という観点から対処したのであろうか。〝逮捕〟という行動が果たして必要であったのか?。逮捕が人を社会的抹殺に繋がることを考えると、短絡的であったのではないか。ここにも世間の圧力を意識しすぎた姿が見える。
傍観者には、他人の家庭のことは解からない。親が子に腕力(暴力ではない)を使うことは、全て悪いことなのか。昨今のリベラルの考え方は、根本を考えず、こうであるとお仕着せる。グローバルを考えて、家庭という基本単位を軽視する。家庭には序列があるのが自然で、全て対等と考えるから秩序が乱れる。親は責任と自信を持って、子どもを育てなくてはならない。
今回の阿部監督問題には、関わった者誰一人、勝者はいない。すべてが敗者に終わった。これを契機に阿部家の絆が深まることが、唯一の勝者への道だ。