やってみることだ

東京オリンピックが閉幕した。成果は上々であった。他国を押しのけて、開催権を勝ち取ったものとしては、やり遂げる義務があった。開催に反対していた人も素直に喜びたいものだ。いまだにオリンピックのせいで、コロナ感染者が増加したと言い張る人がいるが、始まる前から増加傾向にあり開催のせいではない。感染から発症まで10日から2週間の時間差があることを理解しているのだろうか。感情論で物事を考えるのはいかがなものか。
反対論者は、次にあるパラリンピックに対しても、同じトーンで反対するのだろうか。オリンピック開催時よりも、パラリンピック開催時の方が増加傾向は大きいと思える。しかし彼らはオリンピックのようには超え高々に反対しないと思う。そうすると自分の品性が疑われる気がするからだ。障害者(失礼)に対して、悪い気がするからだ。これは偽善だ、いや差別だ。健常者であれば反対しても許されると思い、障害者には遠慮する気持ちになる。要するに新型コロナを真剣に考えているのではなく、感傷に浸っているだけだ。それがメディアやジャーナリストであれば、責任は重大だ。

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