新型コロナ対策の邪魔をしたもの

新型コロナの感染から1年7月。上手くいったもの、いかなかったものいろいろあった。感染第5波の今、振り返ってみたい。
・医療関係
コロナが感染症2類相当に指定されたことから、保健所を介することが必要であった。保健所は置いておいて考える。まずコロナ指定病院になる数が少なかった。いつまでも風評被害を気にして対応に気後れし、病院の絶対数が確保できなかった。また看護師不足でもあった。世の中には必要な絶対数はいたはずなのに、集めることができなかった。ともかく医療の実行部隊は、奮闘したと言える。しかし医療ひっ迫を起こした。
世間には医師会というものが存在することは知られているが、何をしているのかよくわからない。全ての病院が医師会に加盟はしていないが、この事態では病院(医師や看護師など)を取りまとめて対処するのが日本医師会や都道府県医師会の仕事である。感染者の動向を予測するのは学会や有識者に任せて、医師会はそれに首を突っ込み過ぎないで、実働環境を整備すべきであった。評論家ぶって、政府がどうのこうのと言う前に動くべきであった。ここでも圧力団体としての医師会でしかなかった。
・知事会
緊急事態宣言が4度にわたり、宣言の効果が浸透しなかった。基本的に宣言を要請するのは知事会だし、それに沿って政府が宣言した。人流などへの効果が出ないことを、首相の説得性の欠如とか要請しておいてマンネリなどと、他人事であった。給付補助金の配布が遅いと批判があったが、それは都道府県の仕事であり、その事務手続きの遅れであった。ワクチンの配布がはっきりしないというが、これは現場がHER-SYSへの入力が遅いため起きたことだ。市町村を取りまとめて円滑にする役割にもかかわらず、悪いところは政府に責任転嫁して責任逃れをする。
宣言下で飲食店などを中心に、規制がかけられた。しかしほとんど野放しで、政府が発した言葉だけで代弁させた。この領域はほとんど都道府県の実働領域である。夜の街を取り締まるべきなのに、時間が来るとさっさと帰宅する。頑張っている人はいるが、市町村までもセクショナリズムに固まって、市民サービスが行き届かない。大都市圏と地方を一律に考えられないが、知事のリーダーシップで大きな差が見えた。直接選挙であるから、選挙民はよく見ておいて次回の投票をしたいものだ。
・メディア
テレビの新型コロナ放送には、ワイドショー(朝・昼)と報道番組(夜)がある。ワイドショーに特徴的なのは司会からコメンテーターまで素人集団であることだ。多くが芸能人やタレントである。国民がバカと言っては失礼だが、知識や洞察力はないが影響力の強いこの種の人に、マスコミ受けを狙ってしゃべられたら、その気になってしまう。彼らも、番組の意向に沿った意見や行動をとらないと、いつ干されるかわからないのだから必死だ。複数のコメンテーターなりジャーナリストがいるが、見事思惑通り意見が一致する。毎日、明るいうちに同じような番組を各局4~5本も流す。「下手な鉄砲、数撃ちゃ……」のごとく、どこかで見ることになる。嘘や、根拠のない発言を。
報道番組では、さすがに専門家らしき人を呼ぶ。自局に都合のいい人を選んだうえで。一応話さすが、締めはメインキャスターの考えで終わらす。MCだって、コロナには素人なのだ。そこには色濃く次のような思惑がある。
各局には、それぞれ政府に対する独自性があり、それはそれでよい。それは節度やモラルがあってこそだ。しかし、偏向している姿が目立つ。政府への批判をしたくて、医療関係や知事・市町村が行うべきことを政府がするべきと歪めて報道を繰り返したことである。国民を騙し、政府不信を煽り、結果的には医療関係や知事・市町村をぬるま湯につけてしまった。誰の責任でもなくなり、政府が神輿を担がなくてはならぬ非効率なものになり下がった。
・国民
ここでは短く。「自助・共助・公助」と言われる。いつから国民は「公助」にすがり、「共助」のもとに身を隠し、「自助」ができなくなったのだろうか。風邪の対策は知っているのに、新型コロナへの対策を知らないというのか。「移さない、移されない」、それは生きるための自助と人を思い図る共助として分かるはずだ。そのうえで感染したら、病院の世話になればいい。