プーチンの思考形成

・1952 レニングラード生まれ
・1985 KGBとして東ドイツ配置
・1891 ベルリンの壁崩壊(東ドイツ勤務中)
・1991 ソ連崩壊

・1992 サンクトペロブルグ副市長
・1996 エリツィンに取り入り、FSB政治工作員になり中央政界に
・1999/8 エリツィンに指名され首相になる
・1999/9 モスクワでチェチェンの爆破テロと侵攻(首相として主導)
・2000/3 大統領に当選
・2000/6 クリントン大統領訪ロ。エリツィンにプーチンの危険性を告げる(のち失敗を認める)
・テレビ局を統制・国の管理強化
・2004/9 北オセチア、学校選挙。軍が砲撃320人以上死亡。これを機に権限の集中
・カラー革命 ジョージア(2003バラ革命)・ウクライナ(2004オレンジ革命)・キルギス(2005チューリップ革命)で民主化運動。裏でのアメリカの脅威を感じる
・2007/2 アメリカを非難演説。国際秩序との決別
・2010 アラブの春 チュニジア(ジャスミン革命)・エジプト(エジプト革命)・リビア(カダフィ政権崩壊)
・アラブの春を受けてモスクワでも民主化デモ(下院選挙不正)、武力鎮圧
・政敵カロムーラ暗殺未遂
・2014 ソチ五輪中にウクライナで抗議デモ。リトル・グリーンメン(ロシア特殊隊)ウクライナ派遣。東部の親ロ派を支援、住民投票実施クリミヤ併合
・2016 アメリカ大統領選挙介入、フェイクニュースなどでクリントン攻撃(メールをハッキング)
・ロシア国民への締め付け強化
・ナバリヌイ暗殺未遂
・シリア内戦へ関与、化学兵器使用
・2021/8 アメリカのアフガニスタン撤退で、アメリカは戦争をしないと判断しウクライナ併合を決意
・2022/2/21 安全保障会議で幹部たちにウクライナ侵攻の賛意を誘導する
・2/24 ウクライナ侵攻開始

ソ連崩壊での体制崩壊の危機感
世界の民主化運動波及とアメリカの脅威
国内民主化運動への脅威
権力掌握のおごりと政敵の抹殺
アメリカの内向き志向判断と王権への錯覚
ーー今のプーチンはリビア・カダフィ大佐殺害の現実が脳裏を駆け巡り(民主化への恐怖)、独裁的強権を持って英雄を夢見(スターリンへの回帰)、中国の影響下に陥ったことで(ソ連・中国の親子関係の逆転)、失脚の不安を打ち消す日々を送っているーー