立憲民主党は国民政党を放棄した

立憲民主党は安倍元首相の国葬を役員の欠席することを決めた。メディアでも取り上げているように国葬実施の是非は二分されている。国葬そのものに反対する意見はあって当たり前であるし、賛成意見も同様である。しかし政治家がいつまでも実施の趣旨の説明不足ばかり叫んでいるのは、反対のための反対でしかない。岸田首相は大きく4つの項目を挙げた国葬の趣旨を何回も説明させられた。それでも説明不足と批判する。泣いて叫んで役者のごとく説明せよと言うのか。理解力の欠如も甚だしい。
国葬への不参加は共産党・れいわ新選組が表明していたが、今回立憲も不参加の表明をした。前2党は国民政党とは言えない状態であるからともかく、立憲は曲りなりに政権交代を訴えている政党である。国のために尽くした人に形での弔意までも拒み、徒党を組んで拒否することが国民の目にいかように映るか想像できないのだろうか。敵を憎んでも笑って見送ることさえできない余裕の無さは人間性の欠如としか言えない。そのような人間に国を預けるほど国民はバカではない。
立憲は嫌っている共産党と同じレベルの政党になり下がった。目先だけ目立ちたがるれいわ新選組と大根役者を演じている。小事にこだわり大事が見えなくなった政党に明日は無い。