テレビ・新聞・SNSの責任

テレビと新聞の違いは何であろうか。明らかな違いはテレビは公共の電波を利用していて、新聞はプライベートな公共紙だろう。つまり、テレビは電波法を守り、より公平中立性を維持する義務がある。これに比べて新聞は、共産党の『赤旗』のように機関誌のごとく偏向しても良いことになる。このことを利用してマスコミ紙と言われながら、新聞の中には意識的に世論を操作するものもある。しかし、購読料を徴収している以上、原点の公平中立を守るべきが筋であろう。
昨今はテレビの広告収入はSNS広告に追い越されている。SNSは過激になり、何でも有の様相を呈している。スマホの利便性もあって、当分SNSの比重は高止まりであろうが、素人・個人に依存するものがいつまでも長続きするとは思えない。逆に言えば、それが続くようであることは個人の将来設計を遅らせるし、台無しにする危険性もある。
さらには、テレビ・新聞がSNSから情報勢力を挽回するために、作為的な報道を強めている。視聴率を上げるため、購読料を維持するために本来のジャーナリズムを壊している。特にテレビはその性格上、受け身に視聴者に情報を垂れ流すことを繰り返す。視聴者はいつの間にか報道内容が偽りであっても報じられていることが真実と錯覚してしまう。金で雇われたキャスターやコメンテーターが結果的にグルにならされて視聴者を誘導する。フェイクニュースはSNSだけのものではない。