少子化問題--〔6〕核家族と過保護・我儘

 一人っ子の弊害は中国だけの話ではない。二人いても男一人・女一人は疑似一人っ子だ。男は男同士、女は女同士で争わないと人間は成長しないし強くなれない。大家族の子は食事のおかずの多寡一つにも敏感で、自分の置かれている位置を考える。一人っ子は考えることもなくただ食す。考える習慣は人を向上させる。核家族はその軟弱な基盤の上に家庭を築いているわけだから、それを理解してお互いが賢明でなくてはならない。
 親は子供は一人だと、それに良きにつけ悪しきにつけ、思いを集中して賭ける。転べば助け自分で立ち上がることを遅らせる。欲しがれば与え我慢をさせない。親としては厳しくしているつもりでも、世間から見ると甘やかしている。それの繰り返しでのんびりした我慢のできない子が育つ。良い点も沢山あるが、いつの間にか自立心の弱い・依頼心の強い子になる。年齢を隔てた上下の人に褒められたり・ほめたりする喜びを味わえない。
 親は親で、自分の仕事に休息に手いっぱいで、やがては放任する。子供は子供で、わずらわしさから解放されて自分の〝城〟に閉じこもる。テレビもありゲームもあり、やがてはSNSもあり、友達がいなくても格段の不自由を感じない。
 当然、期待を持って教育に投資する親もいる。いや、それが大部分の人だろう。そのためにはそれなりの方法と時間がいるし、お金も必要なことも多い。間違うと反対の結果になることも多い。我儘に育つと失敗に弱くなる。些細なことも過大評価して、道を踏み外すこともある。
 豊かさ・貧しさに関係なく、こうして子ども同士でもまれることなく、自由と我儘で育った人間は、やがて自分の経験に懲りて自分の子を育てる不自由さを避ける道を選ぶ。