少子化問題--〔13〕政府依存症の進行

 コロナの禍は病気そのもの以外に、物乞いの心を植え付けた。弱者救済や消費拡大などを目的に補助金などが個人にも企業にもバラまかれた。救済の一助となったことも間違いないが、要らぬ干渉はして欲しくないと小さな政府を求める国民が、真逆の助けてくれと大きな政府を求めた。ロシアのウクライナ侵攻を機に世界各地でエネルギー危機や食糧危機が拡大し物価が高騰した。日本の物価は世界と比較して、さして高騰していないにも関わらずガソリン補助などのバラマキがされている。日用品も似たような状況で、さも困窮がすさまじいかの様に報道される。
 「困ったときには政府が助けてくれる」。これは大切な政府の役割である。しかし、いつしか国民もメディアも、助け船を前提に意見・行動するようになり、自分で泳ぎ切ろうとするエネルギーを失っていくどころか、考えも失っていく。それでも生活できているのはここまでに築き上げた過去があるからだ。
 もしかしたら、バブルが崩壊した以降、本当に弾き飛ばされたほうが良かったのかもしれない。高度成長で積み立てられた資産を、ただ無意味に食いつぶす生活が、不満足ながらも出来たお陰で今日の社会をつくってしまった。「困ったときは政府が助けてくれる」。その虚弱な体質が今の自分の事しか考えられなくした。当然、家族や子孫の意味を考える余裕も失った。

個人が最終的に依存できるのは家族以外にない。