メディアを見ていると気づくことがある。物事への反対(批判)ばかりで賛成の場面はほとんどない。賛成があるのは社会性の軽い日常のどうでも良いことについてがほとんどで、政治分野での賛成はほとんどない。メディアには過ちは指摘し正すべき助言をする使命があるが、批判のための批判に終始することがほとんどである。骨を出された段階で、中身を発表する前から否定的な発言をする。
最近は子供は褒めて育てる風潮だ。気付けば〝叱る〟ことは罪悪扱いになっている。褒めることは良いが、「スゴイ!」「よくやった」「えらい」「かっこいい」などの単語の絶叫で、何がどの様に良かったのかは語られない。叱る時は「アホ!」「ばか」「なにしてる」などの言葉だけでは、相手は納得できない。何故、いけなかったのか理由の説明が必要だ。その時のテーマを理解し改善策を持たないと、当人を導くことは出来ないから難しい。否定することは肯定することより、はるかに難しい。
逆に対象が政治となると、賛成することは反対するより、はるかに難しい。メディアは政府が打ち出した方針に批判はするが賛成はほとんどしない。実態は批判のための批判団体と化していることに尽きる。その根底は無知と勉強不足である。批判する時は反対の言葉だけで議事が進行し易いが、賛成の場合はその理由を証明しないと説明しにくい。その思考停止状態が、タレント任せ番組を作り、興味本位の番組で視聴率を狙う道具と化した。
批判する時は精神が高揚する。その麻酔に染まったメディアは麻薬(批判)が無いと自分を維持できなくなった中毒患者同然だ。