イスラエル国民の体質に期待する

ハマスのイスラエル急襲から4ヶ月経過した。事態は最悪の3万人に達する死者を出している。恨みを晴らすことは人の恒であるが、過度な報復はまた罪である。物事には見合った報復があるはずだ。イスラエルのガザ地区侵攻は、明らかにやり過ぎだ。その根底には数千年前の事実を、現在に適用するイスラエル人の時代錯誤がある。中国や韓国なども「昔はこうであった」と理屈をこねる。その発想は覇権主義やオネダリ主義につながり、争いの原因となる。
ロシアがウクライナへ侵攻して2年を迎えようとしている。他国から武器を購入してまで残虐な市民殺戮を繰り返している。その本人がわずかな自国攻撃を受けると、〝テロ行為〟と非難する。覇権主義者の異常な心理・表現だ。ロシアはより強権体制が進んでいる。市民が他国侵攻を非難する情景はあまり見受けない。強権の犠牲者とは言え、国内の自浄機能が働かない未開の国と化している。一方のイスラエル国民もパレスチナに対しては過酷である。しかし、市民の中にも戦闘の停止を願う者もいるし、それを行動に移している者も多い。それが許されるところはロシアとは雲泥の差がある。イスラエルはロシアのような大国(?)ではないのだ。身の程をわきまえて、与えられた地で慎ましく生きるべきだ。文化や技術で活躍しる道は充分に備えているのだから、ロシアと同じ道を歩むと破滅する。
ロシア国民は封鎖された世間知らずで、他国に移住した人は再び帰国したいとは思はない。イスラエル国民は世界に目を向けており、世界を見聞きしている。それは自分の行為を如何にすれば共存できるかを知っている筈だ。世界の中のイスラエル人として、自覚した行動を執るべきだ。