高齢者の定義 65→70歳位に

 高齢者の定義を65から70歳に引き上げる案が議論されている。まず浮かんでくることは、企業の定年年齢問題と年金支給開始のであろう。いずれも背景の事情は少子高齢化の問題である。
 定年の繰り上げは平均寿命の向上からして、自然の流れであろう。長く働きたい人の気持ちは、身に着けたスキルを発揮し続ける喜びと将来の金銭的不安がある。働きたくない人は、早く自分の自由な時間を得たいことであろうが、その人は働いて老後の資金を確保する必要がある。いずれにしても、自分の能力・実績を現役の時に身に着けることができるかに関わっている。
 年金の問題での意見は、当人の働いてきた結果と身に着けられる能力に関わる。基本的には多くを納付(貯蓄)した人ほど多くの年金が得られる。自分の生きてきた結果が将来に反映される現実から逃げるわけにはいかない。酷な言い方だが、不満な人は生きてきた過去に自分で責任を持たなくてはならない。日本は社会主義国家ではない。基本的には自分のことは自分で解決しなくてはならない。他国と比べて幸いなことは、最低限の生活は国が養ってくれる。
 高齢者の定義を見直さなくてはならないのは、国民の物的身体的問題である。政治家に変革を求めるのはそれで当然だが、自分が変革を避ける国民では、単なる自己中心主義者でしか無い。特に壮年・青年層は、このような問題は自身が生み出し、自身に跳ね返ってくることは覚悟しなくてはならない。自分の現在に固執して、将来的な〝労働力〟と〝財源〟を残さなく、そのツケは自分に跳ね返ってくる結果となった。子孫が残らなくては、自分を支えてくれる人がいないということだ。若者は自分単でなく、若者単位で子孫を育てなくてはならない。