区別ができない政治家--東京知事選

 東京知事選が近づいた。安芸高田市長の石丸が立候補表明した。その弁「地方から国を変えるために」、それなら地方都市の市長になれ。立憲民主党の蓮舫は「国政を改めるため」、それなら衆議院議員になれ。地方を本気で考えているのであれば、都政についても何もできない。地方の中堅都市市長になって、地方復興の施策に取り組めばよい。ましてや、国政を正すために都選に挑むなど、国民目線などさらさらない。
 地方の首長は、本人の能力以外にその地方の置かれている現状に大きく左右される。財政力のある自治体は、極端に言うと誰がやっても上手くいく。貧しい自治体は、誰がやっても上手くいかない。東京都など財力にあふれている自治体は、大きいから難しいと言うが、それはほんの一部であって決断力があれば誰でもいい。無から有を生み出す創造性はいらない。しかし、人的欠乏・財政的欠乏のどに悩まされている多くの自治体は、一歩も二歩も前の〝無から有を産む〟ことからスタートしなくてはならない。
現在の停滞を産んでいるのは、東京的大都市に準拠した発想で政治が行われ、国民が憧れているからだ。喧噪の中で時間を忘れ、便利で豊富な環境に囲まれていれば、自分の欲求に我を失い、気づけば孤独な生活に慣れてしまう。慣れて生きられればまだしも、将来に対処していないから、孤独なニヒルな老後どころか、哀れな国の世話にならなければ人生を終えられない一生が待っている。
東京都知事になろうとするのであれば、華やかな国政感覚ではなく、市民が死ぬとき「自分の人生は幸せだった」と思える人生を送れる政治をするべきだ。そこにはもはや自分の党がどうだこうだの感覚は邪魔になる。格好だけをつける政治家はいらない。