メディアの実態……[12]褒めることしないで、批判するだけ

 メディアに求められることの一つに公平な報道がある。公平には機会均等と論説の客観性がある。政治の世界の政党は、他党を褒めることなく、批判することは営利的政治集団であるから仕方のないことである。メディアも営利集団であるが、新聞とテレビでは立ち位置が大きく異なる。新聞は購読と言う手法で報道をする。テレビは電波を流して報道をするが、そのための媒体は認可を得る必要がある。従って、テレビの報道は責任重大である。
 褒めることと批判することは、公平の原則からすると半々でなくてはならない。しかし、悲しいことに国民は褒める報道には満足しない。半面、批判的報道には興味を持つ。事実として政治を褒めることの意味を報道するよりは、批判する報道をすることの方が、たやすい。安易な番組つくりに沈んでしまったメディアはジャーナリズムを極めることが出来なくなった。
 事象を判断するには、原因・状態・結果の因果関係を理解する必要がある。言い換えると過去・現在・未来を有機的にとらえる才能が必要だ。つまり歴史的視点が必要だ。残念だが、メディアには歴史が理解できていない。全体を把握しないまま、出来事を報道する。その単史眼的報道が当たり前になっている。価値基準まであいまいになり、ことの真実が掴めない。
 世間の空気は重くよどんでいる。その暗雲はメディアにとって、格好の材料になっている。批判の的になって報道される、材料を国民もいつしか、この手法が当たり前として受け取っている。国民はいつの間にかメディアが流す、暗くて陰湿な報道手法に騙されて、未来に対しての希望までも汚されてしまった。