党首討論と題するものが国会で開催された。〝討論〟とはお互いが質問しそれに答えるものだが、行われたのは一方的〝質問〟の連続であった。なぜ自民党総裁から各党党首への質問がなかったのであろうか。野党からの質問を受けるばかりの企画であるのであれば、前日、衆参で代表質問を行ったではないか。時間の無駄だ。それを不自然と思わない国会がまさに経費の無駄遣いをしている。一応正論で述べたが、実際には野党に質問に値する政策も、実行力もないのが現実となれば、〝討論〟が成立するわけがない。
行われた質問は、政治とカネ・能登災害への対応・衆議院解散の理由のみで、共産党が唯一労働についてであった。共産党は中小企業支援・労働者支援など気持ちはわかるが、現実の社会体制にそぐわない社会主義体制の夢もの語りであった。それでも内容はともかく主張を述べることは討論としては、全うしていた。立憲民主党・維新の会・国民民主党は、空しく〝政治とカネ〟を思考停止の中でただした。解散を非難するために〝能登災害〟を予備費だの補正予算などと利用した。被災者のためと言いながら、被災者を政争に利用する偽善に徹した。
はっきりすることは、野党には過去の相手の失点を利用して避難・批判することしかできないということだ。将来に向かって政策を語ることが出来ない。これでは不祥事があったとはいえ、自民党に任すしか方法はない。日本の国政が停滞している元凶は、野党が育たなく、国民に選択肢を与えていないことに尽きる。国民はあいまいな金を多少使っても、国を豊かにしてくれるのであれば、目は瞑る。清廉さだけを求めても、世の中はまとめられない。