衆議院議員選挙が公示され、投票日が迫ってきた。政党にとっては政権奪取を目指す上で、与党を攻撃することは当然のことである。しかし、過去のことばかりいつまでも、こだわり過ぎることは、反って懐の狭さを露呈することになる。共産党や小政党ならそれでの致し方ない社会情勢であるが、第2勢力の立憲民主党が同じ立ち位置であることは、政治姿勢の限界を感じる。
いつも述べることだが、テレビと新聞ではおかれている立場が違う。新聞はお金で購買される私的メディアであるが、テレビは電波を許可された公的機関でもある。したがって、テレビはより公平な観点での正確な報道が求められている。
選挙が公示されていない期間であれば、多少は特定政党名をテレビ局側が出し、事実報道コメントすることは当然であろう。しかし、一旦公示されたら、選挙期間中になる。選挙違反などについての、正義感を持った(?)報道をするテレビは、その区別がつかなくなっている。意味もなく惰性で政党名を出して批判する。政党の立場と勘違いをしていることに気づいていない。立派な職選挙法違反だ。まったくすべきでないと言っているのではない。明らかに恣意が込められていることが多すぎるし、コメンテータなどを利用して語らせる。恣意が気に入らなければ、公私の判断がつかなくなっていると言おう。
古い政治に決別などと、美辞麗句をあげつらうが、メディアこそ古い体質のままで、時代をつかみ切れていない。メディアが変わるとき、はじめて日本は未来へのスタートが切られる。