賃金の上昇を政府に求めるオンチーー企業に求めべき

岸田首相が「経済政策の5本柱」を発表した。
①物価高から国民生活を守る
②持続的賃上げ、所得向上と地方の成長
③成長力につながる国内投資の促進
④人口減少を乗り越え、変化を力にする社会改革
⑤国土強靭化など国民の安心・安全
 早速、メディアやジャーナリストは何を言っているのか解らないという。余ほど知能指数が低いとしか思えない。これから始めることであり、また方針の発表段階であるのであるから、内容の細事が分かる訳がない。鼻から批判を前提にしているからの発言だ。りっぱな方針だから、これからの詳細説明と実行を期待するのが国民の態度であろう。

 国民の生活が苦しいという。物価が上昇したとか、賃金が上がらないなど不満もつのる。すると国民は政府の責任として批判する。それを煽るようにメディアが批判する。政治は最低賃金を決められるが賃金は決められない。政治は同一労働同一賃金を決めたが企業はそれを守らない。政治は最低ラインを決めることはできるし責務だが、それを実施するのは企業だ。
 同一賃金の考えは、非正規労働者が増加したことに起因する。社員としての責任を持つ人と、一過性の要素を持つ非正規の人が仕事内容が同じだから同一ということは不合理な面もあるが、差があり過ぎることは問題である。現状、非正規の人が正社員を求めるも叶わない人が多くいることは事実であるが、反面自由が利き責任が回避できることに依存している人も多い。非正規の人をパート・アルバイトと同一視点で考えることは、労働の性格を混同することになる。いずれにしても非正規の人は次のステップのための一段階との目的意識を持って働いて欲しい。それがないなら文句を言う権利はない。
 頑張っても報われない人や能力的に劣っている人がいることは事実だ。彼らを支援することは政治の責任であろう。そして自分に相応しい仕事を選ぶことが個人の責任だろう。より良いものを欲するならば、より努力するしかない。政治にそれを期待するところから努力の方向が歪んでくる。ただ、政府にできることの一つに公務員やソーシャルワーカー(保育士・介護士など)の給与を上げて、企業を誘発することは必要だ。
 こと賃金になると、この責任は企業にある。それを政治に求める感覚が依頼心の象徴であり、その間違った方法を批判のための批判を化したメディアの悪行がある。労働者は賃上げは連合に丸投げして、連合は何もしない。それも当然で企業個々で業績が違う世の中だから、連合は何もできない。可哀そうだと言われる中小企業も大企業に依存しているから黙って働くしかない。望むのであれば個々の企業で労使が交渉し賃上げを目指すべきだ。人手不足の時代は業績に見合った賃金を提示しないと、企業間競争に負けてしまう。上がるも下がるも業績次第だから、上げるためには経営者・労働者が対処するしかない。それには気付いている筈だから、最初から政治に求めるのではなく、個々の企業に解決を求めることだ。