パレスチナ問題の概略

◆エルサレムは3大宗教の聖地で城壁に囲まれた旧市街地に共存している。
・ユダヤ教「嘆きの壁」ローマ帝国により破壊されたエルサレム神殿の壁
・キリスト教「聖墳墓教会」イエス=キリストは処刑された場所
・イスラム教「岩のドーム」預言者ムハンマドが天に昇った場所

◆古代にはパレスチナの地にはユダヤ人のイスラエル王国が成立したがユダ王国とに分裂した。やがてイスラエルはアッシリアに征服され、ユダはバビロニアに捕囚されこの地を失った。新バビロニアの時代に帰還しユダヤ教を成立させた。

◆中世は主にアラブ人勢力が強くなり、多民族が侵入しユダヤ人は世界各地へ分散した。

◆近世になり列強の進出でアラブ世界は翻弄された。
・「シオニズム運動」
 19世紀末に始まったユダヤ人のエルサレム帰還運動
・「パレスチナ問題」
 パレスチナ居住のアラブ人とシオニズム帰還のユダヤ人の対立
・「フセイン・マクマフオン協定」(1915年)
 イギリス高等弁務官とメッカ太守フセインの往復書簡。第一次世界大戦後のアラブ国家建設を条件に、イギリスへの戦争協力を約束
・「サイコス・ピコ協定」(1916年)
 イギリス・フランス・ロシア間で結ばれた秘密協定。トルコ帝国(中東)を3国で分割する協定
・「バルフォア宣言」(1917年)
 イギリス外相バルフォアがユダヤ資本の戦争協力を期待し、パレスチナでのユダヤ人国家建設を同意。結果的に先のフセイン・マクマフオン協定やサイコス・ピコ協定に矛盾することになった

◆第二次世界大戦の終了後、イスラエルが建国した。アラブ諸国は反発しエジプトを中心としてイスラエルと戦った。
・「パレスチナ分割案」(1947年)
 国連総会で決議。パレスチナをイギリスの委任統治終了後、ユダヤ人とパレスチナ人の国家に分割、56%の土地にユダヤ人国家建設となった
・「イスラエル建国」(1948年)
 シオニズム運動が結実したが、アラブ人諸国との争いは続く
・「第一次中東戦争」(1948~49年)
 建国したイスラエルと建国を認めないアラブ諸国の戦争。アメリカの支援を得たイスラエルの圧勝。イスラエルは分割案の1.5倍、パレスチナ全域の8割を領土に。多くのパレスチナ難民が発生
・「第二次中東戦争」(スエズ戦争)(1956~57年)
 エジプトのスエズ運河国有化をきっかけにイスラエル・イギリス・フランスがエジプト侵攻。国際世論の非難で撤退
・「第三次中東戦争」(6日戦争)(1967年)
 イスラエルとエジプト・シリア・ヨルダンの戦い、6日間で停戦。イスラエルがシナイ半島・ガザ地区・東エルサレムを含むヨルダン川西岸・ゴラン高原を占領。背景にはアラブ民族主義の高まりやPLO(パレスチナ解放機構)結成などがあった。
・「第四次中東戦争」(1973年)
エジプト・シリアのイスラエルに対する奇襲。軍事的にはイスラエルの勝利であったがアラブ側がOAPECによる石油戦略、第一次石油危機が世界に及ぶ

・「エジプト=イスラエル平和条約」(1979年)
 エジプトが、イスラエルを公式承認。アラブ18か国とPLOはエジプトと断交

◆アラブ諸国とイスラエルは表面上は平穏を得た。しかしイスラエルとPLOの戦いが主になり、いわゆるパレスチナ問題となる
・「PLO(パレスチナ解放機構)」(1964年)
 イスラエルに対抗していたゲリラ組織を統合。
・「パレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)」(1993年)
 PLO議長アラファトが国連にPLOを認めさせ、イスラエルとPLOが相互承認した協定。これに基づき94年にパレスチナ暫定自治政府が成立。
・「インティファーダ」
 パレスチナ人のイスラエルに対する抵抗運動
・「ファタハ」
 PLOでイスラエルとの和平を追求する穏健派。ヨルダン川西岸が拠点
・「ハマス」
 PLOでパレスチナ解放をめざすイスラム急進派。ガザ地区が拠点

◆現在のパレスチナ問題はイスラエルとテロ集団(ガザ地区のハマスやレバノンのヒズボラなど)の戦いと化し、イスラエルを欧米が、テロ集団をイラン・ロシアが支援する構図となっている。