ディアの実態……[6]国民を政府の責任に誘導する

 「政府は何をしてくれる」と、何事につけ政府に責任を押し付ける。自立心のない国民は、すべて政府が何とかするもとか、何とかしてくれるとメディアに洗脳された。少し、生活が苦しければ支援給付金が当たり前と思っている。自由を求める国民が、あたかも社会主義国であるかの錯覚・誤解に不自然を感じなくなっている。そのような人は共産党に投票して、社会主義国を作ればいい(できるのであればだが……)。
 政府に依存する〝大きな政府〟を求めることは、社会主義社会を求めていることだ。中国を見れば明白だが、政府に規制され自由はない。しかし、見返りの平等があるわけでもない。国民は改めて、中国の現状を検証すべきだ。それをしないで、政府云々は虫が良すぎる。よしんば、政府の加護を厚くして、努力もしていない者を助けると、その財源は国民の税金だ。努力している人にとって、とんでもない税金だ。それで努力して改善するのであればまだしも、施しに慣れた人は簡単には改善しない。〝努力が水の泡となる〟で、努力するのも空しくなる。
 最近は、生活が苦しい、貧富の差が激しいなど実態を検証もしないで、政府の加護を求める意見を簡単に言う。世界と全てを比較せよとは言わないが、比較すれば日本は生活は苦しくもないし、貧富の差も激しくない。現に、ほとんどの人が呑気に自分の生活をしている。反乱を起こそうなどと思っている人は、過激派を除いて皆無だ。
 上記のような国民的ムードは誰が作ったのか。諸々の社会的きっかけはある。原因は様々で、人それぞれだ。それに取り組むのが政府であることは間違いない。それを政府の責任一筋に考えるのは、化石化人間だ。ここまで進んだグローバル世界に政府がすべて対応できるわけがない。それを何かに付け政府の責任と報道を続けるメディアの無知と作為が覗える。そうすることが視聴者に届きやすいし、安価に番組が作成できる。メディアは国民から補助金を得て、私腹を肥やす体質になり下がってしまった。〝人は、批判に一番興味を持つ〟