国の政治は、個人の政策で行うものではない

 自民党・立憲民主党・公明党の次のトップを決める時期が来た。独裁的公明党はすんなり移譲するようだ。立憲は4候補で争うことに決まった。残る自民党は9人での争いになりそうだ。メディアはこの視聴率の稼げる状態に小躍りして喜び、ニュースバリューの感覚もなく連日報道している。過去、各党のトップを決めるとき、今回ほど候補者がメディアに露出することはなかった。政党そのものより、国民の審判を利用したメディアの戦略の結果である。
 いずれの候補者も、政策を提示しなくてはならないかのごとき選挙で、まるで国会議員の選挙の様相を呈している。もとろん、各候補の考え方がわかることは良いことだ。半面、タレント選びの選挙の様子は人気投票の観を呈している。国民が選ぶのは政党であって、党首ではない。政党政治の元では、個人の政策で党が決まるわけでは無い。政治を行うということは、自分の政策を行うと同時に、自党の政策を行うことである。党首選の立場上、自身の政策を謳っているが、党首になるとそれを実行することも、それを取り下げることもある。また、ライバルの政策を採用することもある。国のためには、狭い自分の領域のみで済むわけはない。
 政策をやり遂げるためには、党をまとめなくてはならない。そのためには客観的に優れた政策の必要だが、党利に左右されるし、人脈に左右される。一口にそれがいけなかったと言うが、経験したことのない人には解らないことが政治の世界ではたくさんある。他党の協力を得なくてはならないことも多くある。人気投票で選んだ結末は、他国も戸惑う政権交代の連続となる。対極の結末は独裁である。いずれにしても国は乱れる。
 有能な官僚やスタッフの意見を適正に汲み取り、逆にも政策を指示し明確化させ、党を説得して実行する能力が有るか否かが、総理大臣に求められる素養だ。国際社会で毅然とした対応ができる政治家がそれを得るべきだ。