公明党、連立離脱ーー日本の離婚事情と瓜二つ

 自民党の高市新総裁が決まって、1週間も経たないうちに公明党が自民党からの離脱を決めた。メディアはネタが出来て、勇んで話題に取り上げている。その論調はすべてと言っていいほど、高市総裁の手法を貶め、公明党の立場を擁護したものになっている。現在の日本での離婚では、ほとんどについて夫側に責任があるかのような反応を示している。政治の世界でもそのような反応が示されるを見るにつけ、メディアの公平性に疑問を持たざるを得ない。
 離婚を考える場合、それを望む側はその原因を正当化する理由を考える。まさに公明党はその理由を政治とカネに求めたわけだ。自民党の人事は他党からすると他人の家庭事情だ。連立を組んでいるとはいえ、その党の布陣に判断を下すのは、離婚を決意したものにとっては理屈付けだ。連立を組むものが干渉できる場面は内閣人事だ。内閣人事案が出来ていないうちに、党の人事に注文を付けるのは、離婚裁判に勝つための理屈付けでしかない。
 いずれにしても政局は混迷を深めた。立民は内実とは裏腹に「中道ど真ん中」と言い始めた。立民・国民・維新・公明が組めば、過半数を得られる。とにかく政権は取れる。立民の詭弁性は、前述のように露呈した。立民と国民は民主党で新婚生活を共にした仲だが、10年前に離婚した。今度は再婚しようという。愛情が復活してのことであれば、それでもいいが、二人の仲には関係ない外的理由で拠りを戻そうなんて、可笑しすぎて笑えない。国民と維新は政権を取るために主張に反する行動に出れば、国民は幻滅するであろう。その場の便宜で出来上がった政権に何ができるというのか。国政はごまかしながらも運営できるかも知れないが、外交はそうはいかない。いいようにあしらわれることは見えている。トランプと習近平の餌食になるであろう。
今こそ、メディアやジャーナリズムの本質を見極めるなくてはならない。彼らが自民党憎しでしゃべっているのか。彼らが番組や時世を面白半分に喋っているのか。国民は、彼らが〝日本を愛する〟ために喋っているのかを判読しなくてはならない。国民は、国際社会での立場を担えるか否かで、政権を選ばなくてはならない。

自民・公明、連立解消--子供じみたダダッコが政治を混迷に導く

 自民党と公明党が連立を解消した。結論としては、一方的に公明党が解消を通告したものであった。本日の会合は、公明が地方の意見をまとめたものを報告する趣旨で自民に求めたものであった。しかし現実には公明が求めている企業献金の案を、この場で最終的に判断するように求めた。これまで長らく示してきた案であるから、そろそろ結論を出してほしいと迫った。
 高市総裁は就任してから、1週間も経ていない。公明の主張に対する答えを決めていないことは、というより決められないことは自然の流れだ。総裁も言ったように、その場で回答を出すことは独裁的手法だ。まともな組織では、組織をまとめる力量以前に、組織の総意を得なくてはならない(つまり民主主義)。このあたりの公明の手法は、宗教的オカルトの独裁的手法だ。
 いずれにしても、政局は不透明さを増した。極端な例に例えれば、一人の教師に大勢の生徒がいる状態だ。生徒は自分の思いを叶えようと、一匹狼もいれば徒党を組む者もいる。正義と正論であればそれもあるが、教師を吊るし上げたい・追放したい・いじめたいなどの理由から、合従連衡する。政治の世界ではそのようなことが悪いとばかり言うわけではない。過渡期には致し方ないこともある。
 政権を取らなくては、政策も実現しにくい。したがって、政権を取るために謀略を尽くすことが悪いとばかりは言えない。企業献金に党の目的が独自にあることは悪いことではないし、当然のことだ。今の政治資金に関する動きは、政治手法の善悪・真理ではなく、自党のためにしか動いていない。そこには、国民のための政治をする第一の目的がなおざりにされている。政策や行政能力のない子供が、自己顕示欲達成のためスネている。政治は国民自らの手によって、混迷の渦に巻き込まれていく。

オールドメディアの敗北ー-Good by!

 自民党総裁選で高市早苗が勝利した。候補者の中ではオールドメディアが望んだのは小泉進一郎であったであろう。候補者の中では彼が一番リベラルと見えるからだ。それに比べて、彼らが一番望まなかったのは高市だから。
 最初の就任記者会見が開かれた。最近の総裁就任会見では彼女が一番堂々としていたし、理路整然としていた。質問コーナーでは記者も重複なく質問内容を提示していた。しかし最後の最後にゾンビメディアの朝日新聞が同じ質問を繰り返した。「裏金議員を起用するのか」と。先の記者が「不記載議員も起用するのか」と。それに対して高市は、彼らは選挙で国民の禊を済ませてきたのであるから、謝罪は済ませていると。朝日記者はそれで国民の了解を得られるのかとのたまった。ここでも、朝日は国民を人質にとって、過去の終わったことをぶり返した。国民から民意を得られていないのは朝日そのものであることに気づいているのであろうか。今や発行部数が激減し新聞そのものでは倒産企業である事実に。
 そろそろオールドメディアは目覚めなくてはならない。自分では正しいことをしているつもりでも、国家には害になっていることを。リベラルの名のもとに〝反日〟思想で、この国をダメな国に導いたことに。国民の立場を代弁していると言って、国民を脆弱で自己中心にしてきたことを。人には若返りが必要だと言いながら、半世紀以上も前の考え方を捨てきれない老体の自分自身に。自己変革という若返りのできないオールドメディアよ、さようなら。

政治を視聴率に結び付けるメディア

 自民党の総裁選挙が本日行われる。多数の政党が乱立することの弊害は、考えなくても分かることだし、欧州の多くの国が混乱をきたしていること見れば実証している。政治は各党間の調整に時間と労力を費やしてばかりで、国民に対する政治に影響を与える。今のような多党分立を生み出したのは、政治家や政党に原因があることは事実であろう。しかし、その背景にあるのはメディアやSNSなどであることも事実だ。
 SNSは個人的所有物であるから、真偽に関係なく思惑によって、流される。問題なのはその私的機関SNSに本気でメディアが相手をしていることだ。本来、利害関係からするとSNSとメディアは敵対するものである。現実は、一方的にメディアはSNSに振り回されている。今の事象に批判的なものには、なりふり構わずアマチュアの投稿に食いつく。今やメディアにはプライドはない。本来、ユーチューブやTikTokなどをメディアが流すものではない。自社の力で足で稼いだものを記事にするのがプライドであり使命であろう。
 テレビの番組や内容を見ると、コンテンツの中身は芸能人の内輪話と食リポばかりだ。やや教養分野のクイズ番組も出演者も芸能人が大半で、我々は彼らのレベルに合わせて、空しく見るしかない。要するにメディアがコンテンツの本位に創意工夫しているのではなく、目の前の視聴率しか考えていない。
 政治の報道もそれと大差はない。1カ月も政治空白を作ると批判するが、報道の実態を見ると批判しかしない。政策の利点をほめあげることはしない。その政策の中身を解説することもできない。誰でも知っている。叱ることは誰にもできるが、褒めることは自分に度量がないとできない。自民党総裁が首相になる確率は高いが、嬉しそうに少数与党と言っているのメディアだ。ならば、他人が自分の領袖を選ぼうとしている場面に1カ月も長々と、他人の家のことをつつき回すのは人権侵害であろう。背景には自分の好みの人物をステマしているわけで、政治家を批判する価値もない。自己のサイトを金に換えたい(視聴率)SNS以下と言わざるを得ない

自民党総裁選挙をさせたのは国民そのもの

 石破首相が辞意を表明した。1年間の成果ややる気などは、差し置いて国政選挙2連敗した総裁が辞任することは、民主主義において当然のことだ。したがって、自民党が新たな総裁を選ぶことは自然のことである。フルスペックの選挙を行うことは、私的政党が自党員の意見をくみ取るためには当然であり、他人がどうこう意見することではない。
 人質を取るかのように、「政治空白」を騒ぐが、その直接の原因は石破総裁が参院選敗北後ただちに辞任をしなかったことにあるし、メディア・国民が支持したことにある。国民が政治空白を攻めるのであれば、なぜ国民は支持を向上させたのかを問うべきだ。国民は心情で首相を選んではならない。ただ、政治空白ができたことには変わりない。自民党は心してその責任を汲み取り改革しなくてはならない。
 国民は自分の生活を守る必要は当然だが、守ってくれる政府をよく理解しなくてはならない。中国・ロシアなどの覇権主義国家がどうなのか。民主主義の盟主と目されていたアメリカがトランプになっての政治がどうなのか。議会制民主主主義の発祥のヨーロッパがどうなのか。今の日本が最も把握しなくてはならないのは、ヨーロッパの現状であることは間違いない。
 イギリス・ドイツ・フランス。イタリアなどの現状を把握しているのであろうか。それらの各国がどれだけ政権を維持するために、無駄な労力を費やしているのを理解しているのか。政権は他政党との調整に多大な労力を費やし、施策の時間を空費している。少数政党の国の政権は、政権を維持するために労力を費やす。それがいけないということはできても、そのようになった器を維持するためには、そうするしかないことを理解しなくてはならない。
 昨今の日本は、まさにヨーロッパの各国の仲間入りしようとしている。誰がしたのかは明白だ。国民自身だし、それをメディアやジャーナリズムが後押しした。「政治空白」だの些細な失策批判ばかりに心を奪われて、国民はヨーロッパの混迷の仲間入りをした。

自民党総括「解党的出直し」への回答

 自民党が参議院選敗北の総括をした。石破総裁は「解党的出直し」と抽象的な言葉を発しただけで、言葉上の「責任を感じる」と感情に訴えるに終わった。「物価高対策」「政治とマネ」のみが叫ばれた。一言で総括すれば、組織に力を持てないものが、力を誇示することを力点に政治を行った失敗であろう。
 政党政治においては、各党が独自の政策を持ち、その政策を国民が判断することだ。国民は選択肢の多い政局を選んだのであるから、その結果は国民自身が受ければいい。野党各党の政策を主権者にしたとき、はたして国民は今以上の結果を享受できるであろうか。自民党以上の推薦できる政党たる政党であろうか。国政を運営できる党としての体裁を持っている政党が野党のどの党にあるだろうか。単発政策・根拠に基づかない政策・財政的裏付けのない政策しか持たない政党に任せるほど不安なことはない。多くの党の政策を集めて一つにまとまればと言うが、主導権や調整にばかり時間を浪費し、国政を任せるにはこれまた不安である。
 今の自民党の組織形態は文鎮型である。権力者がまとまって、その他は平く一律である。民主主義を語るとき全員平等の世界を夢見る。しかし組織を語るとき、全員平等は中世に夢見たユートピアである。現代の世界では、共産主義の社会が実現できなかったように、通用しない。格差を嫌うが格差がない組織は敗北する。今の自民党の敗北の最大の原因は、派閥の解散である。党内の均衡を派閥で自浄していたが、その自浄作用が出来なくなってしまった。プライドと口だけの石破を文鎮の頭に頂いた組織では、自浄作用が働かせられない。
 組織・体質を問題にするのであれば、野党各党も自民党以下だ。各党が独自の組織を持つのが公平な競争であり、国民に選択肢を多くする。今の政治はここ数十年の〝チジミの世界〟での争いで、将来を思考した政治ではない。「解党的出直し」をするのであれば、派閥を復活して、組織内で喧々諤々の議論や牽制のできる政党にするべきだ。派閥の復活を国民が否定するのであれば、一度下野すればいい。その方が国民は自らに気づくであろう。理想ばかりの政党にもだが、国民の目ばかり気にする怖気づいた政党では、運命を任せられない。

民意は大切だが、ポプリズムは問題だ

 メディアは自らが実施したこともあるが、世論調査の結果を重要視する。内閣支持率もその一つだ。8月下旬の各社の調査で、石破内閣の支持率が10%近く上昇した。石破支持を暗に自任するメディアは、喜び勇んで報道した。一方で、自民党の支持率が下がったことで、さらに話題として煽った。自民党は今回の参議院選の敗北の総括をしているが、支持率が上がったのであるから、石破内閣は継続すべきとまで外野のメディアまで支持する事態になっている。
 ロシアのプーチン大統領は、国際的には不理仁な一方的ウクライナ侵略を行っている。彼の支持率は多く行われているわけでは無いが、75%前後を維持している。さすがにプーチンの悪事まで正当化・応援するメディアはない。日本のメディア・世論の陥っていることは、このプーチン現象に似た面がある。選挙の結果より世論調査を重んじるには、プーチンを支持することに等しい。第一世論調査はあてにならない恣意の多いオールドメディアの調査だ。世論支持率が高いから為政者を持ち上げる発想は、ポプリズムの入口だ。ヒットラーは圧倒的世論の支持によって、ポプリズムのなりの果て独裁者になった。
 今石破内閣の責任を総括するのであれば、世論調査の数字を持って行ってはならない。冷静に政治の基盤である選挙結果に基づかなくてはならない。公平正確性を欠く世論調査で政治を左右することはもってのほかだ。メディアは政治をゲームに置き換えて視聴率を高める危険な状態に陥っている。

中国の破綻に付き合ってはならない

 中国では今年、抗日戦勝利80年と銘打って大々的にキャンペーンを行っている。習近平までそのためにBRICSの出席をしなかった。南京虐殺を題材にした映画が大ヒットしているとのことだ。さらには731部隊(日本の毒ガス開発)をテーマにした映画を9月3日の戦勝記念を中心に興行すると言う。聞くところによると、映画の興行の中心は地方都市が中心になっていると言う。地方都市といえば、経済不況の影響を受けた多くの出稼ぎ労働者が帰京している。大都会の人々はやっと中国共産党の手法が分かり、政府のやっていることの実態を理解してきた。もはや中国共産党も主義の原点の田舎に帰れという状況に追いやられてきた。
 発足の盟主として君臨したBRICS首脳会議をした理由は、前述の日本のこともあろうが本命は国内政治の混乱であろう。習近平の体調なども言われるが、党幹部の更迭が盛んに行われていることは習近平体制の混乱を示している。
 中国共産党は戦って日本に勝利したと国民に正当化しているが、事実は違う。国民党との国共合作はしていたが、実態は蒋介石の国民党と戦っていた。日本に勝利したのは国民党であった。それを台湾に追い出して本土を制圧した。その事実をも歪めてしまう国民教育の怖さは、戦前の日本ファシズム同様、現在の中国ファシズムだ。
 中・長期的にはこの種の敗北を正当化し、繰り返し利用する国に将来はない。過去の戦争を題材に利を得る考え方は、自らの将来を否定している。歴史問題を俎上に上げることは、民意をまとめられない混乱状態を意味している。韓国の慰安婦問題もその典型であった。ロシアのウクライナ侵攻もソ連という戦争の幻影に縛られたプーチンの幻覚だ。真の大国は過去に求めない。
 アメリカトランプ大統領の出現は、中国に脅威を抱かせた。自分より格下の相手に対しては意のままの中国だが、格上に対してはそうはいかない。新型コロナ・バブル崩壊で低迷している経済は、国民の離反を進めた。真に実力を身に着けていない大国は、ますますプロパガンダに走り国民を操作するしかまとめ上げる方法を知らない。狂人に付き合う方法を会得しなくてはならない。

 

システムを変更する--野球

 プロ野球のセ・リーグが27年からDH制の導入を決めた。既にパ・リーグが導入して久しいが、来年から高校野球も導入が決まっており、野球としての統一がされることになった。
 高校野球では、先発投手が完投をすることが多々あるが、プロ野球では先発・中継ぎ・クローザーと分業体制が進んでいる。打撃部門ではDH制はある意味で分業である。守備は苦手とか走力がないとかであるが、打撃は優れている選手は多い。DHはそのような選手に活躍の場を与える。今の野球は分業制が進んでいることになる。
 大リーグではストライクのカメラ判定が考えられている。今やカメラの技術的活躍はめざましい。AIが人間によって変わるか否かがどの世界でも議論されている。
 そのような中で、素朴な疑問もある。大半の国民はテレビなどの画像で観戦する。画面の中心になるのは投手と打者の映像である。初期のうちはカメラはネット裏から映していたが、現在はセンター側から映している。どちらが良いかは別に、観戦者はホームベース上をどのようにボールが通ったかが、主な観点だ。現在のカメラはセンターからレフトに寄った角度で映している。ボールの高低は良しとしても、左右の通過点は判別がつ付きにくいことは、誰でも思い続けてきたことではないか。カメラはその点を考慮して見極めなさいと言っている。自分目線も甚だしい。誰でもカメラをもっと投手の真後ろにしたらと思っている。バクスクリーンは打者が観客の動きで邪魔されないために設けられたのであるが、静止カメラ一台を置いても関係ない。カメラ配置を球団・競技場・メディアなどの誰がするのか知らないが、進歩・配慮が足りない。
 リクエスト制が取り入れられて、より正確な判定が下されるようになった。その前提はカメラの設置がある。そのカメラが人の影でボールを撮影できない場面も多々ある。制度は作ってもそれを実現できない体制では、笑えない。
 夏の甲子園が暑さ対策として、午前・夕方の部に分けられた。良いとも悪いとも言っていない。システムの変更は現状と効果をシミュレーションして実施しなくてはならない。特にプロの場合、主催者と演技者と特に観客を考慮して、実施しなくてはならない。

 

「石破、やめるな」デモの真実

 石破首相は、直近3大選挙で3連敗した。やりたいこと、やり残したことは誰にもある。平社員なら結果の良しあしに関わらず、居直ることがあっても仕方ないかもしれない。首相には大きく、二つの顔がある。一つが国を代表する顔で、あと一つは党を代表する顔である。
 国政を預かっている責任者として、政治に空白をもたらしてはならないと考えるのは、責任を果たしてきた者には許されるが、敗北した責任は自分を推薦した者にとっては責任を取ることは当たり前であろう。民主主義は最悪の場合を想定して多数決を旨としている。自分を選んでくれた者は、それを達成できなかった場合は、責任を取らなくては民主主義の根幹が侵され、そうしないことはまさの独裁の先駆けとなる。自分にしかできないと思い、自分の責任の重さを忘れ、組織の責任者としての責任を忘れた時、職務は終わる。
 巷では官邸の前で「石破、やめるな」のデモが行われた。意見の内容はともかく、この種のデモは最近なかった。今回の参議院選の結果が示すものは、このデモであろう。Xのデモ参加呼びかけに応じて、衆参した者も多い。Xでの発信者は誰であろうか。自民党支持者(石破支持者)が呼びかける訳がない。自民党はそのようなポピュリスト集団ではない。
 結論的には、石破の続投を望む野党となる。野党は弱い石破は好きなのだ。まともな自民首相が出てほしくないのだ。使命感に燃える愚かな首相が継投してくれることが、野党にとって好都合なのだ。自分の思いだけで政治の空白を作ることにも思いが回らない。