中国がここまで発展を成し遂げた理由の一つに、政府が国の経済の発展に関与してきたことがあげられる。政府が企業などに関与すると、すぐに目くじらを立てる人はこれからの社会を理解できない人かもしれない。日本政府も悪い面ばかり攻められるが、結構将来を考え関与をしている。TSMCの熊本誘致やラピダスへの支援などは目に見える例だ。
アメリカのトランプ大統領の行動は突発的で意味不明といわれることも多いが、背景にあるのはアメリカの発展のためには、これまでに比べ〝多きな政府〟を目指していることだ。最大の敵中国の〝大きな政府〟に学ぶことが出来ることは、頑固に見えるが柔軟性を感じる。
世界はソ連崩壊後の自由貿易を基軸とした新自由主義の〝小さな政府〟の時代に世界的国際貿易が活性化した。しかし気づいてみれば、〝大きな政府〟に支えられた中国に独り勝ちを許してしまった。意味は違うが、中国やロシアなどの独裁指向の国がスタンダードを無視して、台頭することが出来た。そして世界の覇権国家アメリカは、それを無視できない規模になった。そのためには自由主義国家アメリカといえども軌道修正をせざるを得なくなった。結果がトランプの諸々の政策だし、手法だ。〝小さな政府〟では、手法の実現に時間と労力が必要だ(日本の政治の現実を見れば一目瞭然)。
貿易で稼ぐ余地は多くあるが、現実はそのパイが増加していない。悲しいことにグローバルサウス諸国は貧しく、購買力が弱い。急速に購買力を付けるには、相当な歳月を必要とする。時期相まって政府主導で乱造した中国製品が国内の行き場を失って、海外に氾濫する。そのデフレ体質の政策が世界の経済を停滞させる。
世界は大きな変革期に突入した。しかし日本にとって代わらないことの一つは、貿易立国として生きることであり、それを支える人材・技術などの維持・養成である。それが民間の力だけでは難しい世界になっている。政官民の癒着はいけないが、三者のタッグが無くては世界で生きていけない時代になったのだ。企業献金廃止などと時代を読めない人々の政治に、国際社会を勝ち抜く政治ができるはずがない。
物価高をどのようにとらえているのか?--物価高≒好景気
参議院選挙も佳境にさしかかった。公示当初、政治とカネが依然として論点の比重を持っていたし、メディアは意識的に論点となるよう誘導する姿勢であった。しかし、物価問題に押しつぶされて姿を消していった。好ましいことである。過去のことを争うほど国際情勢は穏やかではないし、政治の役割でもない。しかし国際情勢を論点とするほど国民もメディアも成熟していない。コメの価格の高騰もあって論点は物価高にシフトした。
消費者にとって物価が高いことは有り難くないのはよくわかる。しかし物価が低いことの影響はどのように理解されているのであろうか。生活が楽になる気がすることは分かるが、豊かになることはない。そのことは1991年にバブルが崩壊して、約30年もデフレ経済を経験した国民は肌で感じてきたはずだ。収入は増えないし、世の中は活気がない。将来の夢を持てなく、今の刹那に生きる動物の生活に逆戻りした。悪いことにはその瞬間だけでなく、将来を考えない弊害を残した。国力は落ちる一方で、それを取り戻す活力も失っていった。少子化はその最たる結果だ。
極端なインフレ(物価高)はいけないが、適度のインフレは世の中の成長の証だ。過去の景気の良い時期を見ても、好景気=物価高は現実だ。物価高はマイナス要因ではなくプラスの成長要因だ。なぜ国民は物価が高いから政治が悪いと言うのだろうか。なぜ政治家は物価が高いから政府が悪いというのか。特に野党は生活が苦しいから減税しろという。減税で片づける志向は百害あっても一利なしのマイナス思考だ。どうして物価上昇分は創意工夫などで補うという発想ができないのか。それができない野党やメディアは国を亡ぼす反日主義の頭目だ。
国民までもこのようなマイナス思考回路で政治を考えているのであれば、まさに日本沈没である。税金はしっかり納めて、それを上回る収入を得る生産活動に一人一人の国民が転換しない限り、いつまでたっても現状は打破できない。
トランプの鈍感さ
トランプ大統領がウクライナに防衛兵器の供与を発表した。金の亡者トランプはその費用を欧州のNATOに求めた。アメリカの立派なNATOの一国のはずだが。横暴に見える彼も国内の動向を考えなくてはならないのだ。「プーチンには失望した」と半年も遅いプーチンの実態把握には、いささか呆れる。プーチンの判断に50日の猶予を与えるなどは、最近激しさを増しているロシアのウクライナ攻撃を理解していない。50日間はしっかり攻撃してよいと免罪符を与えているに等しい。
ロシアからの輸入をしている国には100%の二次関税を課すとのことだ。「また、関税かよ」だ。いまや関税策の実効性や、副作用の大きさに疑問があることに気づいていない。この関税策で一番漁夫の利を得ているのは、中国であることを理解しているのであろうか。一番の敵国は中国といっている張本人が、一番中国に貢献している。輸入を減らして国内の製造業を発展させると言っているが、そのためには数年の歳月が必要だ。明日にでも復活するかの思考で短絡的に過ぎる。
今や世界の国は、トランプを舐めている。まともに付き合う人物ではないと。同盟国とも単なる国としてしか付き合わない手法は、アメリカ離れを加速する。独裁者習近平・プーチンはトランプの政治生命は後数年として戦略を建てて居る。先の無いトランプが勝てるわけがない。残っている活路は、同盟国を中心に失った信頼を取り戻し、早急にウクライナを支援しロシアの野望を頓挫させ、イスラエルと一線を画すことだろう。ノーベル平和賞を望んでいる彼が、習近平やプーチンのような独裁指向の人物に憧れているとは、コケコッコーだ。
周回遅れの国際情報感覚
アメリカではイーロン・マスクが新党「アメリカ党」を立ち上げると宣言した。独立以来続いてきた2党鼎立が崩れるのか。日本では現在、国政政党と呼ばれる党は10ある。自由民主の世の中では思いを持って手を上げることは、悪いことではない。しかし国民の税金を受ける政党が9もあることは何を意味するのであろうか。SNS社会で起こりうる現象の象徴であろうか。
世界で超大国といわれるは、一応アメリカ、中国、ロシアであろう。その政治の大きな特徴は、独裁指向だ。インド、ブラジル、サウジアラビアなどもその傾向が強い。端的にいうと民主主義は統治しにくいということだ。そしてそれはあまり良いことではない。しかし、国際情勢が乱れる時代は、その傾向が顕著となる。独裁指向の政権は国民の民意を得るために、ポピュリストに変身する。国内だけでは収めきれず、国外にその場を求める。その歴史が、第一次大戦・第二次大戦だ。今の世界は確実に第三次大戦前夜だ。その先頭を切ってロシアがウクライナ侵攻した。中国は武力を背景に経済で世界侵略を続けている。アメリカは過去の大戦で、そうであったように自国に籠り、国力を醸成しようとしている。
今の日本は国際情勢を全く把握せず、丼の中の島でしか思いが及ばない。知っているのは知識だけで、知識を活用する意識すらない。まったくの傍観者の立場で、自分の身の回りしか考えられない。多くの政党の中で、その調整にしかエネルギーを使えない。鎖国の中ではできても、世界一自由貿易の恩恵を受けている日本だ。日本は国際社会の中で、生きていく体制を失っている。今の世界では時代遅れの多数政党の乱立では、国際社会での日本を発揮する力は出せない。
言葉と行動の矛盾--若者
参議院選挙の投票が7月20日にある。毎回選挙のたびに投票率の低さが問題となる。国民が参加する制度であれば、3分の2程度の投票率であることが民主主義には必要であろう。現実は5割の水準に甘んじている。
昨今のリベラルの流れの中の一つに若者の政治参加が叫ばれている。18歳の有権者に被選挙権を与えるべきとの意見もある。参議院の被選挙権が30歳であることには疑問も感じるが、社会経験のない20歳前後の人に国の政治を任せることは、理想主義に走り過ぎている。
現実に戻ると、若者(10~20代)の投票率が30%半ばであることは、何を表しているのであろうか。若者は政治は老人が取り仕切っていて、若者の意見は反映されないという。自分の一票が政治に反映されることはないと言う。欲しいものが比較的自由に得られてきた子供としての成長できた家庭・社会環境が、短絡的に思えばすぐに実現されると言う考え方に育てている。学問が16年の歳月を経ても簡単には成就できない経験を積みながら、政治・社会にはすぐに思いを実現しろと迫る。その無理な要求が簡単でないことを知り、無関心を装って逃避する。
一方、高齢者の投票率は60%台を維持する。若者の倍である。しかも少子高齢化社会の名の通り、票数で考えれば2倍どころか4倍を超える計算になる。政治家は職業に一つだ。国民は理想を政治家に求める傾向があり、高齢者が多い層に政治が傾くと考える。ますます、取り残された孤独感・無力感にかられる。政治家だって、職業人だ。職業を失うことを考えるわけがない。票の多い高齢者層の票で当選し勤続を続けることの何が悪い。国民の誰もがそのようにして、自分の存在を維持しようと努力しているではないか。自分は努力しないで、政治家には努力を求める。
今行われている政治は、現在のための政治だけではない。将来の社会のための政治が大きな比重を占めなくてはならない。一番将来のある若者が、実際は老人のように明日の無い社会の視点で選挙をとらえている。明日がないから選挙に行く必要もない。すぐ与えられないから、それを待つ忍耐もない。メディアに汚染された環境で、リベラルぶって、自分を守ってくれるのは日本という国であることを忘れている。
最悪はメディアの報道である。20日は連休の中日で投票しにくいという。街中のインタビューでは投票をしにくい意見ばかりを流す。期日前投票はめんどくさいしやり難いと回答すれば、ただただ肯定する。現実には期日前投票の方は簡単で、メンタル的にもやり易い。投票日の設定が悪いことばかりを報じて、期日前投票の勧めは報じるが、それを一歩進めた投票に結び付く報道はしない。投票率の低さを論じ合いながら、投票率向上の論点を示すことのできない無能番組と化す。
参議院選挙
「政治とは明日、来週、来月、来年に何が起きるかを見通す能力である。そして後日、なぜそうならなかったのかを説明する能力である」
ーーーーウィンストン・チャーチル
過去をほじくるのではなく、未来を考え、それに責任を持つ人・政党を見抜かなくてはならない
石破首相はトランプ大統領に会うべき
トランプ大統領が追加関税をかけ、3ヶ月の猶予を与えた期限に後わずかとなった。赤沢大臣がこれまで7回の交渉を持ったが、先行きは見えない。9月までの猶予期間を延長することも発言されたが、業を煮やしたトランプは絶縁状化のような書簡を送ったと言う。
この交渉の最大唯一の問題は、自動車に関する関税だ。25%の関税はメーカーが負担するには大きすぎるし、アメリカ消費者にも負担は大きい。自動車産業はすそ野も広く大きい。日本の輸出の2割を占める。この関税でアメリカの自動車産業が再生する見込みは、疑問が多い。仮に日本車の比率が減るとしても、アメリカ車の比率が早急に増加するとも思えない。中国とのディールに勝ったつもりが、中国製EVに席巻される可能性もある。アメリカ製と思っているイーロン・マスクのテスラは中国の製品状態である。
首相は、日頃から長期的な戦略を口にするが、目の前の炎も考えなくてはならない。自動車産業の不況は日本経済の不況と等しい。トランプは日本を不審に思い、ナメている。日本はトランプを甘く見ている。ウクライナ、ガザ、イランなどを見てわかるようにトランプは倫理で動いているのではなく、ディールで動いている。日本もディールで動けばいい。石油・LNGを買えと言ってる。中東の不安定を考えても切換え時だ。防衛費増を要求している。中国の横暴を見るにつけ増強は必須だ。国内の平和ボケした防衛感覚を自力で解決できない訳であるから、他力を利用して防衛費増を約束すればいい。NATOはGDP比5%に踏み切った。
石破首相は参議院選挙が近づいて、内政に注力するかの観がある。選挙は党に任せればよい。総理大臣は国政を優先しなくてはならない。遅まきではあるが、首相自らトランプと会い、中国寄りの姿勢の打破を見せなくては、トランプ関税は打破できない。だだし、安易な妥協は禁物だ。そのためにも国民は覚悟しなくてはならない。
コメで百姓一揆の国民・メディア
米の値段が急騰し1年で倍増した。仮に5kgが3000円とすると、この価格は高いのか、安いのか。コメの5kgは33合である。家庭で1日3.3合を食すとすると5kgは10日分である。つまり、1日当たり300円となる。食パン1斤より高いが、食パン1斤で家族が1日過ごせるであろうか。市場の原理からすると、米は安すぎるということだ。
日本の食料自給率は38%である。主食の米は自給できている。米は生産者問題で議論される。少子高齢化・零細農家・小規模分散土地などで、非効率な生産を強いられている。国を挙げて大規模農家や企業化へと転換中だが、今だしである。補助金を考えることは、当然の状況だ。補助金も一律にすると大規模農家と小規模農家で格差が進み、小規模農家の離農が進み、その割には大規模農家だけでは応じ切れる状態ではない。また、稲作は日本の国土を守り豊かにする原点であることを理解することだ。
合わせて考えなくてはならないことは、流通形態だ。自主流通米なもあるが、大半は卸などの流通ステップを踏む。問題はそのステップの多さだ。片手のステップを経ることは当たり前となっている。この問題を改善しない限り、生産者米価と消費者米価の格差は解決できない。メディアは〝備蓄米〟〝古古米〟などと煽るのではなく、流通システムの本質的な問題を深堀すべきだ。
消費者は、商品の価値に相当する出費をすることが必要だ。興味本位の報道に惑わされることなく、本質を見抜かなくてはならない。また、米の国における存在価値を、多少は損得勘定だけでなく、生活インフラとしての価値観でも把握することが必要だ。それしても〝米は安すぎる〟。
メディアは呼称を適切に
人は呼称によって、その人を判断することが多い。呼び捨てにすることは一般的に悪印象を与えるし、〝さん〟付けすると親近感を抱かせ、〝氏〟を付けると他人行儀な感を抱かせる。例えば、アメリカのトランプを言うとき、トランプ、トランプさん、トランプ大統領、トランプ氏などがある。一般国民にとってはどう呼ぼうがあまり関係ないことが多いが、メディアにとっては適切に使い分けすることが求められる。
未だに、中居正広を〝中居正広さん〟と呼んでいるメディアが大半だ。彼の客観的事実は犯罪者だが、起訴されていないから呼び捨てにはできない。しかしタレントでもない彼と同等の一般犯罪者に〝さん〟付けで呼ぶことはない。グレーの人に対しては〝氏〟付けで呼ぶことが一般的だ。〝中居正広氏〟と言えないメディアには、彼のメディアに対する貢献(?)があったからであろう。まさにそこにメディアの感覚のズレを感じざるを得ない。タレント石橋貴明がメディア女子社員に破廉恥なことをした報道を行ったが、何の疑問もなく〝石橋貴明さん〟と報道した。
テレビメディアに登場する人に、アナウンサー、キャスター、コメンテーターや招聘されたジャーナリスト、大学教授や識者がいる。彼らが使う呼称は千差万別だ。特にニュース性のある者には役職で呼ぶべきだ。石破さん、石破首相の使い分けをしない。特に政治は役職で仕事を行っているわけで、石破首相と言うべきだ。同じ番組で同じ人物がプーチンと言ったり、プーチンさんと言ったり、プーチン大統領と言う人には知能指数を疑う。彼ならほとんどの国民は彼が大統領であることは知っているから問題ないと無意識に思っているのであろうが、知りもしない政治家首相をを〝~~さん〟と言われても、国民は彼の地位的立場を理解できない。
出演者などは、自分の尺度で自分の思いを述べて、視聴者がどれだけ理解しているかには思い至らない。呼称一つで、彼がどのような人物であるかが推しはかられる。それを主催者自身が乱用し、招聘される人も乱用している。視聴者はよく知らない人には、呼び捨てにされれば悪印象を抱き、さん付けされれば好印象を抱く。問題なのは、メディア登場人物が視聴者を自分の思想に誘導していることだ。
メジャーの出先機関と化したNHK
プロ野球が開幕した。子供たちの意識はサッカーに傾いてはいるが、やはり国民的スポーツは野球であろう。昨今は野球にしてもサッカーにしても、報道専門機関が参入し選択すれば広く楽しめる時代にはなった。しかし一般的にはテレビの中継や報道が主体となっている。
日本人選手のMLB移籍が多くなり、個人的には世界レベルに近づいたことは嬉しいことである。彼らの活躍を喜ぶ人が多いのは事実である、チームとしてのメジャーはお粗末である。昨今ではメディアは自分の力と勘違いをした報道や番組が多くなった。海外で活躍することが素晴らしいことであることは事実である。しかしサッカー選手の活躍を報道するメディアは、メジャーリーガーを報道することに比べて格段に低い。事実、海外でのサッカー選手の報道を目にすることはない。
NHK‐BSは午前中にドジャースの試合をまるで完全中継のごとく放送する。時差の特性を生かした放送メリットを考えていると思うが、午前中に特色あるBS番組を見たい人は多いはずだ。NHKにとって午後7時台と9時台のニュースは格別である。しかし日本人選手の活躍と銘打ってのメジャー報道はあってもNPBの報道が無い日も多い。日本人MLBの活躍の大半はニュースバリューとしては字幕での結果一覧で済むことが大半である。NHKに限らずメディアはニュースバリューの感覚が狂っている。
MLBでの先駆者に野茂英雄や松井秀喜やイチローがいる。瞬間風速では大谷翔平が勝っているとはいえ、彼らは今のようにはメディアで報道されなかった。フジテレビが中居問題で批判されているが、直接的でないところで他局メディアが正常でないことは露呈している。SNSの弊害を危惧するのも必要だが、世の中をまともな姿にするためには、公的に託されたメディアを棚卸することがもっと必要だ。