自民党総括「解党的出直し」への回答

 自民党が参議院選敗北の総括をした。石破総裁は「解党的出直し」と抽象的な言葉を発しただけで、言葉上の「責任を感じる」と感情に訴えるに終わった。「物価高対策」「政治とマネ」のみが叫ばれた。一言で総括すれば、組織に力を持てないものが、力を誇示することを力点に政治を行った失敗であろう。
 政党政治においては、各党が独自の政策を持ち、その政策を国民が判断することだ。国民は選択肢の多い政局を選んだのであるから、その結果は国民自身が受ければいい。野党各党の政策を主権者にしたとき、はたして国民は今以上の結果を享受できるであろうか。自民党以上の推薦できる政党たる政党であろうか。国政を運営できる党としての体裁を持っている政党が野党のどの党にあるだろうか。単発政策・根拠に基づかない政策・財政的裏付けのない政策しか持たない政党に任せるほど不安なことはない。多くの党の政策を集めて一つにまとまればと言うが、主導権や調整にばかり時間を浪費し、国政を任せるにはこれまた不安である。
 今の自民党の組織形態は文鎮型である。権力者がまとまって、その他は平く一律である。民主主義を語るとき全員平等の世界を夢見る。しかし組織を語るとき、全員平等は中世に夢見たユートピアである。現代の世界では、共産主義の社会が実現できなかったように、通用しない。格差を嫌うが格差がない組織は敗北する。今の自民党の敗北の最大の原因は、派閥の解散である。党内の均衡を派閥で自浄していたが、その自浄作用が出来なくなってしまった。プライドと口だけの石破を文鎮の頭に頂いた組織では、自浄作用が働かせられない。
 組織・体質を問題にするのであれば、野党各党も自民党以下だ。各党が独自の組織を持つのが公平な競争であり、国民に選択肢を多くする。今の政治はここ数十年の〝チジミの世界〟での争いで、将来を思考した政治ではない。「解党的出直し」をするのであれば、派閥を復活して、組織内で喧々諤々の議論や牽制のできる政党にするべきだ。派閥の復活を国民が否定するのであれば、一度下野すればいい。その方が国民は自らに気づくであろう。理想ばかりの政党にもだが、国民の目ばかり気にする怖気づいた政党では、運命を任せられない。

民意は大切だが、ポプリズムは問題だ

 メディアは自らが実施したこともあるが、世論調査の結果を重要視する。内閣支持率もその一つだ。8月下旬の各社の調査で、石破内閣の支持率が10%近く上昇した。石破支持を暗に自任するメディアは、喜び勇んで報道した。一方で、自民党の支持率が下がったことで、さらに話題として煽った。自民党は今回の参議院選の敗北の総括をしているが、支持率が上がったのであるから、石破内閣は継続すべきとまで外野のメディアまで支持する事態になっている。
 ロシアのプーチン大統領は、国際的には不理仁な一方的ウクライナ侵略を行っている。彼の支持率は多く行われているわけでは無いが、75%前後を維持している。さすがにプーチンの悪事まで正当化・応援するメディアはない。日本のメディア・世論の陥っていることは、このプーチン現象に似た面がある。選挙の結果より世論調査を重んじるには、プーチンを支持することに等しい。第一世論調査はあてにならない恣意の多いオールドメディアの調査だ。世論支持率が高いから為政者を持ち上げる発想は、ポプリズムの入口だ。ヒットラーは圧倒的世論の支持によって、ポプリズムのなりの果て独裁者になった。
 今石破内閣の責任を総括するのであれば、世論調査の数字を持って行ってはならない。冷静に政治の基盤である選挙結果に基づかなくてはならない。公平正確性を欠く世論調査で政治を左右することはもってのほかだ。メディアは政治をゲームに置き換えて視聴率を高める危険な状態に陥っている。

中国の破綻に付き合ってはならない

 中国では今年、抗日戦勝利80年と銘打って大々的にキャンペーンを行っている。習近平までそのためにBRICSの出席をしなかった。南京虐殺を題材にした映画が大ヒットしているとのことだ。さらには731部隊(日本の毒ガス開発)をテーマにした映画を9月3日の戦勝記念を中心に興行すると言う。聞くところによると、映画の興行の中心は地方都市が中心になっていると言う。地方都市といえば、経済不況の影響を受けた多くの出稼ぎ労働者が帰京している。大都会の人々はやっと中国共産党の手法が分かり、政府のやっていることの実態を理解してきた。もはや中国共産党も主義の原点の田舎に帰れという状況に追いやられてきた。
 発足の盟主として君臨したBRICS首脳会議をした理由は、前述の日本のこともあろうが本命は国内政治の混乱であろう。習近平の体調なども言われるが、党幹部の更迭が盛んに行われていることは習近平体制の混乱を示している。
 中国共産党は戦って日本に勝利したと国民に正当化しているが、事実は違う。国民党との国共合作はしていたが、実態は蒋介石の国民党と戦っていた。日本に勝利したのは国民党であった。それを台湾に追い出して本土を制圧した。その事実をも歪めてしまう国民教育の怖さは、戦前の日本ファシズム同様、現在の中国ファシズムだ。
 中・長期的にはこの種の敗北を正当化し、繰り返し利用する国に将来はない。過去の戦争を題材に利を得る考え方は、自らの将来を否定している。歴史問題を俎上に上げることは、民意をまとめられない混乱状態を意味している。韓国の慰安婦問題もその典型であった。ロシアのウクライナ侵攻もソ連という戦争の幻影に縛られたプーチンの幻覚だ。真の大国は過去に求めない。
 アメリカトランプ大統領の出現は、中国に脅威を抱かせた。自分より格下の相手に対しては意のままの中国だが、格上に対してはそうはいかない。新型コロナ・バブル崩壊で低迷している経済は、国民の離反を進めた。真に実力を身に着けていない大国は、ますますプロパガンダに走り国民を操作するしかまとめ上げる方法を知らない。狂人に付き合う方法を会得しなくてはならない。

 

システムを変更する--野球

 プロ野球のセ・リーグが27年からDH制の導入を決めた。既にパ・リーグが導入して久しいが、来年から高校野球も導入が決まっており、野球としての統一がされることになった。
 高校野球では、先発投手が完投をすることが多々あるが、プロ野球では先発・中継ぎ・クローザーと分業体制が進んでいる。打撃部門ではDH制はある意味で分業である。守備は苦手とか走力がないとかであるが、打撃は優れている選手は多い。DHはそのような選手に活躍の場を与える。今の野球は分業制が進んでいることになる。
 大リーグではストライクのカメラ判定が考えられている。今やカメラの技術的活躍はめざましい。AIが人間によって変わるか否かがどの世界でも議論されている。
 そのような中で、素朴な疑問もある。大半の国民はテレビなどの画像で観戦する。画面の中心になるのは投手と打者の映像である。初期のうちはカメラはネット裏から映していたが、現在はセンター側から映している。どちらが良いかは別に、観戦者はホームベース上をどのようにボールが通ったかが、主な観点だ。現在のカメラはセンターからレフトに寄った角度で映している。ボールの高低は良しとしても、左右の通過点は判別がつ付きにくいことは、誰でも思い続けてきたことではないか。カメラはその点を考慮して見極めなさいと言っている。自分目線も甚だしい。誰でもカメラをもっと投手の真後ろにしたらと思っている。バクスクリーンは打者が観客の動きで邪魔されないために設けられたのであるが、静止カメラ一台を置いても関係ない。カメラ配置を球団・競技場・メディアなどの誰がするのか知らないが、進歩・配慮が足りない。
 リクエスト制が取り入れられて、より正確な判定が下されるようになった。その前提はカメラの設置がある。そのカメラが人の影でボールを撮影できない場面も多々ある。制度は作ってもそれを実現できない体制では、笑えない。
 夏の甲子園が暑さ対策として、午前・夕方の部に分けられた。良いとも悪いとも言っていない。システムの変更は現状と効果をシミュレーションして実施しなくてはならない。特にプロの場合、主催者と演技者と特に観客を考慮して、実施しなくてはならない。

 

「石破、やめるな」デモの真実

 石破首相は、直近3大選挙で3連敗した。やりたいこと、やり残したことは誰にもある。平社員なら結果の良しあしに関わらず、居直ることがあっても仕方ないかもしれない。首相には大きく、二つの顔がある。一つが国を代表する顔で、あと一つは党を代表する顔である。
 国政を預かっている責任者として、政治に空白をもたらしてはならないと考えるのは、責任を果たしてきた者には許されるが、敗北した責任は自分を推薦した者にとっては責任を取ることは当たり前であろう。民主主義は最悪の場合を想定して多数決を旨としている。自分を選んでくれた者は、それを達成できなかった場合は、責任を取らなくては民主主義の根幹が侵され、そうしないことはまさの独裁の先駆けとなる。自分にしかできないと思い、自分の責任の重さを忘れ、組織の責任者としての責任を忘れた時、職務は終わる。
 巷では官邸の前で「石破、やめるな」のデモが行われた。意見の内容はともかく、この種のデモは最近なかった。今回の参議院選の結果が示すものは、このデモであろう。Xのデモ参加呼びかけに応じて、衆参した者も多い。Xでの発信者は誰であろうか。自民党支持者(石破支持者)が呼びかける訳がない。自民党はそのようなポピュリスト集団ではない。
 結論的には、石破の続投を望む野党となる。野党は弱い石破は好きなのだ。まともな自民首相が出てほしくないのだ。使命感に燃える愚かな首相が継投してくれることが、野党にとって好都合なのだ。自分の思いだけで政治の空白を作ることにも思いが回らない。

日米関税協定妥結

 トランプ大統領が7月末を期限としていた、25%関税の交渉が、15%の相互関税で妥結した。自動車関税が25%から15%になったことが最大の成果だ。コメの輸入もミニマムアクセス米(77万トン)の中での輸入量に決まり農産物への影響は免れた。80兆円のアメリカ投資は想定内以下でもあった。赤沢大臣などの粘り強い交渉の成果と言えるであろう。
 参院選敗北後、石破首相は退陣しないと表明したことをメディアなどは取り上げたが、関税交渉が合意する前に退陣を表明することは、百害あって一利なしだ。その点は政治家として筋を通した。関税交渉妥結を花道として、首相は辞任するであろう。
 トランプ大統領が妥結の道を選んだのは、大部分はアメリカ国内事情であろう。日本では報じられないが、エプスタイン問題(性的少女売春)に関与したのではないかという大きなスキャンダル揺れている。いつまでも関税の問題を解決できないと政権の膝元が危ない。ただ、アメリカが日本と付き合っていくには、今回の与党過半数割れは問題がある。日米が交渉するにも、早期の回答を得られない状況では、国際社会のスピードについていけない。過半数を持つ与党でなくては、信頼を持てないことは明白だ。それを理解しろと日本国民にサインを送ったのだ。

石破首相は、直ちに辞任すべき

 権力や地位を得た者に必要なことは、身の引き方や引き際である。石破は過去党内野党の立場が長く、その間一貫して党内批判をしたり、胸に秘めてきた。2009年に安倍首相が参院選に惨敗した時、責任を追及しやめるべきと発言した。その後も党内の居場所が心地悪く、もっぱらメディアに出演し憂さを晴らしてきた。そのせいか、国民の受けは悪くはない。今回の事態でもかなりの国民が辞任を強く望んでいない側面がある。あれほど裏に表に、石破内閣を望んできたメディアも今回ばかりは見放してきた。メディアの眼力は真実を見抜くことが出来ないことも証明された。
 選挙前には、過半数死守を謳っていたが、選挙中盤から〝比較第1党〟と誰が見ても実現可能な目標に切り替えた。中国はよく〝ゴールポスト〟を動かすが、心の隅に親中国を持つ石破も、自己正当化の人であった。今の野党同様、他人の批判はするが実行力はないことが明らかになった。政治は難しい面があるので、成果を上げなかったことに対してこれ以上は攻めない。
 問題は誰のために政治をするのかという認識の点だ。自分でなくては日本を救えないと言う崇高な思いと、大きな勘違いを政治家はしてはならない。どの世界でも自分より優れた人物は存在する。安心して道を譲ってもいいのだ。自分の力でやり抜くという気概は必要だが、自分を必要としていない状況に気づくことも必要だ。企業でも自分の立場を死守することに全力を注ぎ、挙句の果ては組織を弱体化・崩壊させた例は事欠かない。
 現実として、日本の政治は中道保守を謳う自民党にしか運営できない。不合理に思うかもしれないが、国のためには合理的だ。組織の礼儀を失ったら組織は崩壊する。礼儀とは、失敗したらきっぱりと身を引き、後進に道を譲ることだ。そこから新たな進歩が生まれる。

混迷を選んだ国民は自らの自覚が必要

 参議院選挙の結果、与党の過半数割れが起きた。その原因は明白で、自民党の自信喪失と世論と時の政府批判だ。その結果、自民党の保守層が参政党と国民民主党に流れた。さらに投票率が約7%上がったが、その要因は若者層の投票率向上だ。未成熟な選挙の現状は、SNSによる選挙操作が起きる。それがSNSを利用した参政・国民の躍進であり、現実を把握しきっていない若者層の支持により加速した。
 もう一つの現象は、俗にいうリベラルを標榜する政党の停滞である。第二政党の立憲民主党の現状維持は、最近の自民党バッシングの世論を考えると、大きな敗北であろう。共産党は決定的な判断を浴びせられた。批判するだけ・相手の失策で懐を潤す政党の当然の帰結だろう。数年後の姿は社民党の姿であろう。
 過渡期と考えると、少数政党の乱立に意味はある(国際情勢からは過渡期の免罪符は与えられないが…)。世界の潮流は、保守・自国第一主義だ。保守を極右と捉える意見もある。ヨーロッパは極右が台頭し少数多政党の状況だ。民主主義の根幹からすると多政党の乱立は意味がないでもない。しかし、国を動かすことを考えると、回りくどい効率性の悪さだ。それが中国・ロシア・アメリカなどの独裁指向の高い国の効率性を上げている。
 政治参加に挑戦した若者よ。選挙をゲームのようにしてはならない。自分のためだけ、今だけで考えてはならない。自分の子孫の代を考えて政治は行われなくてはならない。日本の若者にはその素養があると考えている。

日本人の感覚をマヒされる中国の戦略

 トランプ大統領が関税攻勢で日本を攻めることは、日本人の感情をアメリカ敵視に繋がることはだれでも考える。当然中国は考えるのを超して、利用を考える。そのための材料は日本を喜ばせる手法である。「水産物の輸入再開」「日本産牛肉の輸入再開」と6月末以来、打ち出してきた。輸入を再開することは、良いことのには違いない。日本の愚かなことは、それをあたかも相手を譲歩させたかのように思っていることである。前進したのではなく、スタートラインに戻っただけである。いや、むしろその間の歳月を考えるとマイナスである。それを利益を得たかのように考える日本人の人の好さだ。
 尖閣諸島周辺に中国船が侵犯してから久しい。漁船から海警へ、さらには軍の船へとエスカレートしてきた。中国の軍は膨大な規模であり、有事がない今は暇を持て余している。兵のストレスを緩和するには格好の材料だ。エスカレートは空にも広がった。中国軍機が日本機に異常接近する事態の起きている。初見は注目するが、それが常態化すると異常を異常と思わなくなる。暇な人には勝てない。
 黄海の中間線に、協定を破ってブイを浮かべる。さらには試掘を始める。太平洋の日本のEEZで深海の海洋調査を始める。レアアースが存在することから、これは急速にエスカレートするだろ。
 牛肉の禁輸をしたのは、BSEの発生した20年以上前だ。水産物の禁輸も数年前からだ。それをもろ手を挙げて喜び、中国に媚びる日本人。パンダは帰り日本にいなくなった。平和な日本人は愛くるしいパンダを望み、政治家までもパンダの貸し出しを要求する。あのパンダの狡猾そうな目つきが理解できないのであろうか。

世界の潮流を知らなくてはならない--世界を勝ち抜く政治

 中国がここまで発展を成し遂げた理由の一つに、政府が国の経済の発展に関与してきたことがあげられる。政府が企業などに関与すると、すぐに目くじらを立てる人はこれからの社会を理解できない人かもしれない。日本政府も悪い面ばかり攻められるが、結構将来を考え関与をしている。TSMCの熊本誘致やラピダスへの支援などは目に見える例だ。
 アメリカのトランプ大統領の行動は突発的で意味不明といわれることも多いが、背景にあるのはアメリカの発展のためには、これまでに比べ〝多きな政府〟を目指していることだ。最大の敵中国の〝大きな政府〟に学ぶことが出来ることは、頑固に見えるが柔軟性を感じる。
 世界はソ連崩壊後の自由貿易を基軸とした新自由主義の〝小さな政府〟の時代に世界的国際貿易が活性化した。しかし気づいてみれば、〝大きな政府〟に支えられた中国に独り勝ちを許してしまった。意味は違うが、中国やロシアなどの独裁指向の国がスタンダードを無視して、台頭することが出来た。そして世界の覇権国家アメリカは、それを無視できない規模になった。そのためには自由主義国家アメリカといえども軌道修正をせざるを得なくなった。結果がトランプの諸々の政策だし、手法だ。〝小さな政府〟では、手法の実現に時間と労力が必要だ(日本の政治の現実を見れば一目瞭然)。
 貿易で稼ぐ余地は多くあるが、現実はそのパイが増加していない。悲しいことにグローバルサウス諸国は貧しく、購買力が弱い。急速に購買力を付けるには、相当な歳月を必要とする。時期相まって政府主導で乱造した中国製品が国内の行き場を失って、海外に氾濫する。そのデフレ体質の政策が世界の経済を停滞させる。
 世界は大きな変革期に突入した。しかし日本にとって代わらないことの一つは、貿易立国として生きることであり、それを支える人材・技術などの維持・養成である。それが民間の力だけでは難しい世界になっている。政官民の癒着はいけないが、三者のタッグが無くては世界で生きていけない時代になったのだ。企業献金廃止などと時代を読めない人々の政治に、国際社会を勝ち抜く政治ができるはずがない。