日本が成長しないわけ

相変わらず日本経済が成長しない。当然と言えば当然と言えば当然かもしれない。根本的に社会構造と要求が食い違っている。つまり要求は平等で貧困格差のない社会であり、端的に言えば社会主義的発想なのだ。一方、努力で能力を発揮できる自由な資本主義的社会システムの中にいる。自由と平等を同時に要求する身勝手な社会なのだ。その天秤に弄ばれて揺れることが、いかにも運動している錯覚に陥っている。波間に漂う物体は動くばかりで、前進も後退もしないで留まっているものだ。波にもまれるだけで、ただあがくだけで、抜け出すだけのエンジンを補強しないし、考え努力をしない。火山噴火で排出された軽石の様にすり減って、どこに行くのか分からない他人任せのチリジリの将来が待っている。精神土壌が他人任せの社会主義的ユートピアになっている。社会情勢がそれを叶える構造になっているのであれば、そうすればいい。そうでないから、イラつき議論しているのではないか。
一つの決断が求められる。国(国民)に依存する社会保障を選ぶのか、自分の力量に依存する自由を選ぶのか。千数百兆円の国債にまだ輪をかけて自滅が解っていながら目先の享楽を得たいのか、空腹に耐えながら自分を夢見て将来にかけるか。自分の子供がいれば、今よりより将来に賭ける発想・忍耐・努力の必要性が解ってくるのだが……。世界の中の日本であることが分かっていれば、答えは明白だ。要するに政府云々ではなく、国民一人一人の覚悟が足りないのだ。