監督は自分のためだけに行動すべきではない

プロ野球が開幕した。3年ぶりのフルシーズン制で楽しみだ。毎年、期待することや疑問に思うことがある。個々の役割についてである。ミーハー感覚のメディアが囃し立てる日本ハム・新庄新監督について思う事がある。つまり監督としての仕事についてである。オフの就任が決まった直後は仕方ないが、年も明けキャンプが始まっても録画とは言えバラエティーメディアに出演して、自分のための仕事をしている。例により新庄流とかビッグボスなどと野球とは関係のないことを多くしている。決してセオリーを無視することが悪いとは言わないが、監督としては部下がいるのであるからセオリーがあっての破天荒だ。
彼のやっていることは球団のフロントや運営組織がやることだ。球団は集客アップの為であろうが、長い目で見て逆効果だ。とても一部上場企業のやる姿には見えない。観客は野球を見たいのであって、ショーを見たいのではない。一番迷惑をこうむっているのは選手だ。余裕も大切だが日夜血のにじむ努力をしている彼らにとって、放任主義やご都合主義や芸能的人気取りは何の指導にもならない。バラエティー番組の様に野球ではなく場を盛り上げる選手が重用される。
佐々岡監督を知っているだろうか。広島カープの監督だが、100勝・100セーブ以上の数々の成績を残している。他方新庄監督の知名度は圧倒的だろう。しかし彼の実績はスポットだ。折々で発揮した打ち上げ花火だ。開幕4試合が終了して、日本ハムは4連敗で、鈴木がメジャーへ行き若手中心の広島カープは4連勝だ。監督に過去の実績が必要だと言っているのではない。監督には本業に専念できる知見・眼力・忍耐力・葉隠れ・孤独などの才能が必要だ。
本当は新庄監督はどうでもいいことだ。ロシア(プーチン)がウクライナへ侵攻して1ヵ月過ぎた。彼の自分一人の為だけの願いが、現実に生活し働く多くの罪のない他国の民を苦しめ、自国の民までも苦しめている現実を一刻も早く終わらせなくてはならない。