リベラル(革新)とは名前だけで、実体は保守の権化

 社会主義・共産主義と言えば左派でリベラル派と思われている。中国・ソ連(ロシア)・ベトナム・キューバなどの現在かつて)の共産主義国は、果たしてリベラルな国だろうか。当然、「否」という言葉が当てはまるであろう。明らかに保守的な国だ。保守的と言うよりはむしろ権威主義的な国と言う方が的を得ている。1世紀も前、ユートピアとして持てはやされた社会主義と言う概念は、100年の齢を踏んで権威主義と言う思想とは無縁の専制国家に変質した。
元々、社会主義は国を治めきれないことを回避するために採用された国家主導の専制主義であった。本来の社会主義が実現するためには、民主主義が育たないと叶わない。それが現実であるから、民主主義が育たない国は方便で利用して権威主義の国になった。いまの世では権威主義は保守主義そのもである。リベラルと言う美名が恥ずかしい。
立憲民主党や日本共産党が日頃行っていることを見ると、如何に保守的であるかが分かるであろう。戦後、押し付けられた憲法をいつまでも後生大事に守ることなど、気の遠くなるような保守である。戦後から成長をしない、まるで化石のような頭である。憲法改正を考えているのは保守と言われている自民党で、反対しているのはリベラルと言われている立憲民主党・共産党である。現実は全く逆で革新的な自民党、保守的な左派政党である。国防を放棄する左派政党に、国を任せるわけにはいかないのは自明である。国が発展することを阻む保守的な左派政党は、終焉を迎えるであろう。かつて日本社会党が崩壊し、社民党になり、今は事実上崩壊しているように……。
終戦記念日を迎え、不戦の決意を新たにすべきは当然であるが、権威主義の効率性は個人の発狂で、いつ武力侵攻をするか解らない。ただウクライナ情勢を報道するだけでなく、発狂の事実とそれに対応するために必要なツールを具備すべきで、いつまでも保守一辺倒ではならない。