少子化問題--〔2〕男女平等と自由平等

 男女が平等であることは、基本的人権として当然の姿である。ここで言うのは動物として人間が未来に繋がるための、各々の役割だ。多くの動物は、雄が外敵から守り食料を確保する一方、雌は子を育て子孫を残す。つい先日まで、人間もそうであった。長い間の本能システムを一夜で変更しようとしているのが、現在の人間だ。無理な焦った行動をしていることを前提に〝男女平等〟〝自由平等〟を考えなくてはならない。
 男女平等になって起きたことは、一般論として――男は多くは変化しなかったが、家事・子育てを負担し、大黒柱としての威厳を失った。女は家事・子育てが軽減し、働く・遊ぶ自由を得て激変した。自由と平等が機能すれば、男女が中性になることは必然だし、LGBTなどのように少子化の要因が増えることも必然だ。結果としては男が負け女が勝ったと言えるが、それも必然だ。少子化問題は〝子孫を残す〟ことと〝男女平等〟との矛盾を解決しなくてはならない。
 女性は子供を産むことにより仕事を中断(昔の女性は大きなお腹を抱え、産後も間もなく農作業をしたが、「そうせよ」と言うべきではない)する。企業は彼女の復帰を支援しなくてはならないがコストもかかる。変化の激しい時代であるから、休暇がハンディを作る。勢い変化の少ない仕事を任せることになる。ここで〝差別〟という言葉が出てくる。差別と言われるくらいならば初めから雇わない、と考えることを悪とは言えない。
 男性は子育てを拒みはしないが、休職まですることを恐れる。周りの目を恐れることもあるが、取り残されることを恐れる。
 企業は従業員に育休の罪悪感を持たせない運営を求められるが、人手不足になる将来はそうせざるを得ないことになる。生産力を上げて対応することだ。問題は自由と平等を手に入れた人の行動と思考だろう。変化に対応できる頭脳と意識を維持しない限り将来は無い。少子化問題は意識改革の問題だ。