原子爆弾は、なぜ落とされたか

 広島・長崎に原子爆弾が落とされた理由は、色々語られている。またその善悪も色々語られている。落とされた日本と落としたアメリカとにも、意見の齟齬はある。原爆を使った行為は事実である上で、当時の世界情勢を検証してみたい。
 1945年になると連合国側は勝利は確実と考えていた。従って問題は戦後処理を如何にするかが大きな問題になっていた。ヤルタ会談、ポツダム会談などでは既に連合国同士の利益配分が問題事項になっていた。ひと言で言えば、戦後の日本をいかなる形で統治するかが問題であった。ソ連の参戦に伴って、アメリカとソ連の利害が衝突した。アメリカは日本本土は統一してアメリカが統治する方針であったが、ソ連は本土の北半分(少なくとも北海道)を統治したかった。一方、大敗を喫しながらも敗戦を受け入れる感触を日本は示さなかった。
 このまま長引けば、アメリカは兵士の被害は増えるばかりで、ソ連は無傷で漁夫の利を得てしまう。アメリカ(トルーマン)が原爆の開発に傾斜し、使用したのはソ連に干渉される前に日本に無条件降伏させる必要があった。事実、ソ連(スターリン)は8月6日の原爆投下と共に満州へ侵攻したし、8月15日に降伏すると樺太や千島に侵攻した。アメリカが連合国としての盟主を発揮しないと、ソ連は間違いなく北海道へも侵攻しただろう。日本がフォッサマグナで分断されているように東西に分断統治されていたであろう(ドイツは東西に分断された)。日本が玉砕を覚悟で戦争を続けていたら、今の我々の姿は如何様なものになっていたであろうか。結果として原爆は今の日本の平和(?)を作り上げた。不幸中の奇跡と言えよう。
原爆の投下を肯定しているかのように受け取った人は、当事者や戦中の人々はともかく、若者は事実を知らないで言葉に翻弄されている。核兵器には反対すべきであろうが、自分の頭で資料を分析し考えない反対は混乱を与えるだけである。余りにも歴史を知らず、教育や政治家の責任にし、いざとなったら逃げればいいなどとする若者が多いこと不安を感じる。どこへ逃げると言うのか、逃げて生活できるほど人になれば、日本を守る意識が高揚するはずだ。竜宮城に逃げて贅沢な生活を考えているのだろうか。
敗戦国や弱小国は、自分の意志とは関係なく、他国の利害や都合に翻弄される事実を理解して、核の問題を考えなくてはならない。