少子化問題--〔5〕人口の都市集中と家族の崩壊

 人が都市を目指すことは自然である。東京・大阪などの大都市に人々は移動し、企業も移動した。若者とって都市は憧れだ。しかし、それは成長過程の享楽だ。縮小社会では、政策が必要だ。
 都市の生活の利便性の裏には、長い目で見たときの犠牲を被っている。住宅事情の悪さと高価格で、家を持つことは大変だ。必然的にマンションなどの賃貸に頼る。それは狭い空間で生活することを強いるのみならず、核家族にならざるを得ない。
 核家族は自分の自由を得るし、外部の干渉を受けないで済む。目の前の家計支出は減らせえるし、一歩家を出ると賑わいに癒される。子供が少ないので、自分のための時間が確保できる。都市での生活は基本的に楽しい生活を享受できる。
 核家族で失われることは、家族間の基本サイクルだ。祖父母→両親→子供の一連の連携が無くなる。お互いがお互いを避ける風潮にもなる。昨今、保育の問題が議論される。保育所の不足は事実であろうが、多くは核家族のせいで祖父母の役割が無いことが原因だ。子供の保育の問題は四六時中世話をする人の居ないことが問題ではなく、突発的に発生する要保育の問題だ。そこには身近に祖父母がいることの効果は絶大だ。ほんの10分の外出もできないでいらだつことが、祖父母がいれば・兄弟姉妹がいれば解決するのに…。保育所・保育員ばかり求めるのは、税金の無駄遣いだ。
 地方での3世代家族の生活をすれば、保育の問題で国を煩わすことは激変する。少子化問題も解決しやすくなる。