何も解決していないジャニーズ問題--真の戦犯はメディア

 ジャニーズの記者会見が行われた。社長の辞任と新社長の就任、被害者への謝罪・補償、株式は前社長が100%保持したままに集約される会見が延々と4時間以上続けられた。会見までの時間があった割には、過去を見つめるだけで将来の体制改革を感じられなかった。今更個人喜多川の悪事をさらけ出しても空しいことだ。初めからジャニーズとメディアとに仕組まれた茶番劇だから致し方ない。
 この様な問題は、会社と被害者の謝罪と補償問題で、事件は過去の個人が主体によるものであるから裁判に任せればよい。勿論、経営に加担したり恩恵を受けたものは償わなくてはならない。過去の数々の企業による不祥事がそうであった様に、罪を犯した者は罰を受けることは当たり前だ。しかし、今後の企業の運営について第三者がおこがましく口出ししすぎるべきものではない。これではまるで三面記事に終わってしまう。必要以上に過去のことを荒立てると被害を受けるのは被害者である。なぜならメディアはそこに焦点を当てて、自分に目が向かないように仕組んでいるのだから。
 故喜多川の犯行が始まったのは1960年代という。60年という時間が経過した事実は何を語っているのであろうか。その間にジャニーズは大発展を遂げた。その活躍の場はテレビを中心としたメディアである。世間やその筋では早くから彼の悪事を知っていたという。にも関わらず罰を受けることもなく、成功者として礼賛し仕事の成功に加担したのは誰だ。そう、それはメディア以外の何もでもない。半世紀に渡って悪事を許し加担した結果、逆に利用される立場になり下がったメディアの体たらく。イギリスのBBCが報道しなかったら、永遠にメディアの悪事が続くと思うと背筋が寒くなる。
 タレント個々の研鑽努力は敬服するが、個人の素養と出世は別問題だ。努力をしているものは他にも沢山いる。日頃は正義ぶっているが、一企業に蹂躙され公共の電波を私的に利用したメディアこそ、今後実態を暴かれて襟を正さなくてはならないそのものだ。