少子化問題--〔9〕異性を除けば不自由しない社会

 人が生活するには衣食住が必要だ。衣食住の充足は両極端な現象を生む。不足している状態では、それを得るために努力する。そして束の間の平穏を味わう。個人差はあるが今日の日本は衣食住も満ち足りた世の中だ。そして文化を醸成するものと、堕落の道を転げ落ちる者と、大部分のなんら変化のない者に分かれる。その大部分の者がどの様に生きるかが国の運命を左右する。
 若者に限ってみると、自分のスキルを磨くことと、家庭を築くことと、日々を生きること、積極的に何かに打ち込むことなどの何に重点を置くかの問題になる。多くの若者は試行錯誤の内に自分の方向性を見いだせないこともあるが、生活を維持していく。
 社会にとっては、自由と不自由との調和が求められるが、若者には自由が優先する。自由を生かして成長の糧にすれば問題は無いが、経済の停滞(勝手にそう思っているだけ)を理由に無力感をあまりにも早く持ってしまう。それも当然で子供の頃から苦労や不自由な生活を味わう経験に乏しかったのであるから。大人も社会もそれを許し、自身も安楽を優先した。
 生活が苦しいと言いながら、高価なスマホと通信料を支払うことは止められない。既に彼らは仮想の世界で現実を逃避するノウハウを手に入れてしまった。SNSなどで、結果的に何ら解決も生産性もない時間つぶしで日々を送る。空しさには気づいているが、抜け出すことはできない。まるで、麻薬常習犯のごとくだ。
 現実の世界では、仮想空間で夢見るような世界は得られない。当然解っていながら、現実に戻れない。日々を送るには十分な環境が身の回りには整っているから。やがて目的のない人生を送ってしまう。そのような若者を異性は一生の伴侶にする気にはなれない。それよりは自由の方が余ほどいい。そして異性から目も掛けられない年齢になっていく。

 これも、〝自由が生んだ不幸だ〟