相変わらず、政治資金規制に関する議論(?)が続いている。パーティ券の公開基準が、自民10万円、公明5万円、維新5万円以上、立憲はパーティ禁止と主張している。その最中、パーティ禁止を主張している立憲の幹部数人がパーティを予定していることが判明した。規制案が決まっていない段階であるから、問題ないと開きなおた。党の本質をさらけ出した偽善だ。
このようなダブルスタンダードが自民党であった場合は、メディアは延々と批判の番組を続けていたが、メディアは軽く報道するにとどめている。メディアが詭弁野党をのさばらせ、メディア自身が詭弁で固められていることをさらけ出した。自民党は政権与党であるから、批判を多く受けることは不自然ではない。問題は、批判をする企画概念で番組が進行する、メディアのあり方だ。まったく世界史的視野が無いことは、日本の将来を誤らせる。
立憲が主張する、パーティ禁止はメディアの波に乗って国民に耳障りの良い印象を与える。政治は〝清い物〟と、政治を道徳的側面だけでとらえることは、国際的には棄権で不安極まりない。そもそも立憲自身にパーティ禁止の気持ちはない。立憲の創設者と言える小沢一郎は明確に禁止すべきではないと言っている。自民党は派閥云々と言ってきたが、立憲はもっと悪い一匹ウサギの烏合の集団だ。選挙目的に綺麗ごとを並べ禁止と言っているが、腹の中はどうせ禁止という形で法案はできないと分かっているから、できもしない反対意見を言っているに過ぎない。過激な行動に出る政党も危険だが、国民の好みに付け込んで詭弁を弄する政党も危険だ。