リスク管理に敬服する

 羽田空港で日本航空機と海上保安庁機が衝突した。海保機の機長が重症・乗員5人が死亡した。日航機は機体が火だるまになったが、乗員・乗客379人全員が助かった。衝突後、約10分の間に前部と後部の脱出シューターで脱出した。CA(客室乗務員)の機転によるものであった。
 この様な状況下で混乱するケースは、荷物を持ち出そうとすることと、我先を争って通路を塞ぐことだ。そして先導役の指示に従わないことだ。CAは毅然と冷静に先導したことは見事である。乗客もそれに従って、身体一つで冷静に従った。日本国民の底力を頼もしく思う。
 前日には石川県の能登半島で大地震に襲われ、津波も発生した。この時、NHKの山内泉アナウンサーが避難のアナウンスを行った。日頃の口調と打って変わって、説得調から命令調に代へて避難を促した。背筋がゾッとするそのアナウンスは、現地の人たちの避難行動に貢献したに違いない。用意された原稿をただ棒読みするのではなく、本人も後でびっくりするような演技であったろう。日航CA同様、立派なリスク管理だ。
 一方、衝突事故の原因の究明はこれからだ。管制側か海保側に原因が考えられるが、今後のより一層のリスク管理が求められる。

少子化問題--〔16〕政府に頼りっぱなしでは少子化は防げない

政府の少子化対策はこれまでよりも前進してきて、喜ばしい。ただ、給付や税対策などが中心である点が残念だ。保育現場の拡充と改善・義務教育の無償化・高校の授業料無償化などは当たり前の事であろう。要は実質高卒が大勢になっていることであるから、この18年間を平等に安心して送れることが必要だ。大学の無償化が議論されているが、大学は教授内容が多岐にわたることから一律に議論するには疑問がある。ドライに将来の日本に具体的に必要とされる学科に、学生にではなく大学に補助を与える戦略的観点が必要だ。
余り他国と比較する必要はないが、韓国の現実を理解することは参考になる。合計特殊出生率は日本は1.27で韓国は0.7だ。最近の出生人口は約80万人に対して約30万人だ。このまま続けば明らかに日本より先に韓国は沈没する。青春を謳歌し、今の事だけ考えて、自分の将来や未来の子孫を考えないと確実に、現実は自分に罹ってくる。
昨今の国民は、何かあればすぐに政府を批判し、頼る傾向が強くなった。純粋に資本主義を貫くか、福祉国家を目指すかによって政府の介在は変わってくる。当然、福祉国家を目指せば政府に頼ることになり、上からの政策が強くなる。しかし、今の国民は政府を批判はすれども協力は快く思っていない。平等を求めるが、平等に国民としても責務を果たしていない。
子沢山の家族を見ると微笑ましいと同時に尊敬する。金銭的に豊かであるから、子沢山とは言えない。苦しくても沢山の子供を育てている人もいれば、逆に独身で豊かに生活している人もいる。将来の社会保障に貢献するのは前者だ。つまり独身や子供の少ない人は現在には貢献するが、将来に貢献する度合いは低い。そのような人が悪いと言っているのではない(人それぞれ事情がある)。それが現実ということだ。
国が国として繁栄するためには内需が必要だ。グローバル世界においては生産したものを輸出すれば潤うとばかりは言えない。中国が水産物の輸入を禁止し、レアメタルの輸出を規制したように、グローバル化は戦略的に利用される。経済は成長をし続けなければ国は衰退する(過去30年を見ればわかる)。内需を活性化するには購買者が必要だ。購買者を増やすためには人口増加が必要だ。若者が増えると活力ある画期的な製品が創られる。しかし政府に頼る甘えの体質では、苦境を乗り切る力を得ることは出来ない。敗北に立ち向かうには柔軟なで若い血が必要だ。困れば頼る体質は若い血も脆弱な体質にしてしまう。

漫才を見たい!

 最近、テレビでの漫才の放映が少ない。しかし、漫才師如き人が画面に溢れている。某局では漫才日本一を競う番組が毎年開かれている。そこを目指して多くの人が挑んでいる。研鑽を積んで実力を養成している姿には一目置くべきだろう。
 『M-1』制覇を目指し、優勝したコンビは多くあるし、テレビに多く露出している。しかし悲しいことに、そこには漫才をしている姿ではなく、ただバラエティなどの漫才とは縁のない姿ばかりである。彼らはどこで漫才をしているのだろうか。大都会の寄席などでは観ることができるかもしれない、田舎のドサ廻りで見かけるかもしれない。普通の人はテレビを通して見るしかないけれど、そのテレビが放映しない。世の中は市場原理で動くが、もはや漫才は市場で必要とされていないのだろうか。テレビは冷酷に視聴率を前提に番組を造ることを信じれば、漫才は視聴率を稼げない芸になったのだろうか。
 漫才を目指してきた芸人が行き着く先は、バラエティ番組の〝にぎやかし〟役に落ち着いている。当人もそれが解ってきて、稼ぎになるから漫才師は辞め芸人に満足している。いつの間にか漫才選手権はバラエティ芸人になるための登竜門と化した。寂しいことだが生活がある彼らを責めることは酷というものだろう。
 問題はテレビにプライドが無くなったことだ。漫才師を育てると言う文化的責任感が失せたどころか、自局の視聴率向上を目指して、冷酷に彼らを道具として使い捨てる。それが解っているから、逆に冷酷に演じる姿を見ると、努力してきた過去を賞賛するどころか、軽蔑に近い視線で画面から目を逸らしてしまう。
 独占的放映権を利用して国政は歪めて批判報道するだけのツールを与えられているのであれば、自分の手助けに利用するだけでなく、日本の伝統〝漫才〟を歪めてでも育てるテレビになって欲しいものだ。

派閥の功罪--自民党・安倍派と二階派への検察捜査

 自民党の安倍派と二階派へ東京地検が捜査に入った。パーティ収入が還流して政治資金に不記載が問題になっている。政治資金規正法違反であることは明白だが、派閥事務局か議員個人かが今後の焦点となる。それは地検の究明に任せるしかない。
 メディアでは派閥そのものが悪いと断定して議論がされている。国民の前で話すことは許されないミスリードである。そうするのであれば何故派閥が悪いかという論理的根拠を示さなくてはならない。犯したことが悪いのか派閥が悪いのかをごった煮して報道している。今回の問題は派閥が悪いのではなくて、その運用が悪いのである。それは派閥があったからと言うかもしれないが、罪を犯していない派閥も現に自民党にある。これらもメディアの思考停止と策略的報道姿勢の生んだものだ。
 自民党以外の政党には派閥がないかのような報道がなされているが、それに類似したものはある。もっとも派閥はある程度の集団にならないと機能しないから、今の野党には実現する可能性はない。組織が大きくなると地方分権のように権力移譲されたグループが出来るのがむしろ正常だ。それをいかに運営していくかが組織の力だ。自民党は地方分権が過ぎて(というよりは中央政権が弱くて)暴走を生んだ。
どの世界でもそうだが、個人が組織に頼る風土になっていることが諸悪の根源だ。国民が政府に助けてもらえることが当たり前と思うようになり、そう思うように報道を繰り返すメディアが個人を脆弱な体質にした。個人(議員)がしっかりしていたら派閥は強力な組織となる。それは党を強くし、国を強くする。政治を目指すものも自己を強くしてほしい、派閥という物体に頼らなくても活躍できる人材になって欲しい。そうなるためのステップとして派閥を活用することは悪いことではない。
自民党は派閥を人間関係の集まりではなく、政策集団として機能するものに替えなくてはならない。野党は一刻も早く国民が期待する、批判集団ではない政策集団に育たなくてはならない。

何もかのが政府が悪いとする停滞思考を改めよ

 世の中は、自民党安倍派のパーティ券問題で、夢中になっている。確かに政治資金規正法の不記載があったのであれば犯罪である。それ故、検察が調査しているし国会が閉幕すれば事情聴取が行われる。特に野党は国会開幕期間がわずかであるために、血眼になっている。それは野党の責任であろうから致し方ない。しかし、メディアは野党と同じ目線で、報道をしてはならない。自民党は私的なものだが、政府は国民のモノだ。自民党の問題を政府の問題に結び付けるだけの発想は報道機関として余りにも野党的過ぎる。
 岸田首相は安倍派の大臣・副大臣・次官の全員更迭をほのめかしている。今回の問題に関係があるか否かを確認しないまま、安倍派であるから失格という発想は安直であろう。首相は慌てないで冷静に対処すべきだ。
 岸田首相は自民党の総裁であるから、当然今回の問題を適切に処理をしなくてはならない。と同時に政府の首相でもある。国の運営と自民党の運営は、それぞれの事象に基づいて議論されなくてはならない。特に事実を報道することを委託されたテレビメディアは、ほくそ笑んで国政と自民党を同一視が過ぎる報道をしている。
 メディアは、時の政権を打倒することが使命であるといつの間にか錯覚してきた。それに基づく報道は、国民を扇動する行為であることになる。一番批判してきたアメリカに庇護される状態を、もっとも最新の状態に更新していないのはメディアである。アメリカの傘の力に頼ることを批判するのであれば、日本国が前向きに成長するためには何が必要かを考えて報道して欲しい。政府に前向きな仕事をさせる報道の仕方の一つもありたいものだ。

イタリア、〝一帯一路〟脱退

 イタリアが中国が主導する一帯一路から脱退した。一帯一路発足以来、最初の脱退である。対中貿易は赤字続きで、資本主義に合わない独裁政権への懸念が脱退の主な理由だ。発足以来10年が経過したが、中国の景気低迷の中、約11兆円の焦げ付きがあり〝債務の罠〟の危険性も言われる中、特段のメリットがないのが参加国の実感であろう。一致一路を評価すれば、〝中国の製品を売りつけ、インフラ整備に中国の資材と人材を利用し、他国の資源を搾取し、国連での自国票獲得を目的とする政策〟と言える。
 中国は、EUの首脳を迎えて会談を持つなど欧州の引きつけに腐心している。EUもEV(電気自動車)への国家的補助で輸出される自動車に関税を考えている。この様に中国はWTO(国際貿易機関)の理念に反する貿易を多大に行使している。欧州には一帯一路に参加している国は約20か国があるが、一部の専制的な国を除いてイタリア同様にメリットよりは危険性を感じているだろう。
 欧米同様グローバルサウス諸国も一帯一路には疑問を持っているが、悲しいことに自国での産業が脆弱である。専制的な国を中心に賄賂に等しい贈り物で、籠絡されている国も多い。軍部が強い国にはロシアや北朝鮮の実物武器支援で懐柔される。与えてくれれば誰でも良い状態からの脱却を先進国は支援しなくてはならない。

いつまでも固執するメディア

 パーティ券の政治資金問題。自民党は非は非と認めて、党を挙げて改革に着手すべきだ。なぜなら、今の日本を任せられる政党は自民党しかないからだ。有難く国民の意を汲んで対応して欲しい。岸田首相は衆議院を解散して国民の信を問うべきであろうが、予算編成などの日程を考慮すると難しい。
 今回のパーティ券の収入に対しての措置の中での問題に適切に反応しているメディアがない。①キックバックそのもの・②収支報告書への不記載・③派閥の存在そのものなどの報道がされている。当然その全てが検証・報道されることは必要だ。
 ①については、パーティ券ノルマと、実績への報酬として戻し金があったこと。派閥内ならともかく国民・メディアには何の問題は無い。
 ②については、不記載が政治資金規正法違反であることは事実だ。それ故検察が調べている。メディアはその捜査結果を踏まえて批判するべき問題だ。
 ③については、何も報道する問題ではない。事実認識不足からコンテンツを面白おかしく、正義ぶって報道しているだけだ。〝派閥〟があって何故悪いのだろうか。メディア社の中にも派閥があって諸氏は日頃ストレスを溜めているのであろう。また、組織は所属人数による組織の形態があることくらい理解している筈だ。むしろ、派閥(部門)が出来ることの方が正常な組織で、部門の総意が全体に届けられて組織の総意となる。だから社長-部長-課長-社員などの形態がどの会社にも設けられている。派閥が悪いのではなく、その運営が悪いだけの話だ。日頃プライバシー保護と偉ぶっているメディアが、全くの他人である外の物が非難することは耳を疑う。
 メディアや野党が、派閥を非難するのは金額の大小ではなく、別の目論見があるからではないか。つまり安倍派を貶めたいからではないか。要するに安倍晋三という人物を抹殺したいからであろう。今回の問題の時期は安倍政権の時期とも重なる。これに喜んだメディアは派閥罪悪論(安倍晋三罪悪論)を展開している。この手法は検証と言うよりは、陰湿なイジメどころか扇動である。

政治資金を明朗に

 自民党派閥の政治資金パーティ問題で揺れている。派閥所属議員にパーティ券のノルマを課し、ノルマ達成者にキックバックしていたとのことだ。そのこと自体は法的には問題は無いが、政治資金として記載していない議員が存在する疑惑だ。検察が捜査していることであるから、必要以上に国会を浪費するのではなく、本来の議論に集中することも必要だ。
 特に自民党には派閥があり、幾度となく派閥の功罪は議論されてきた。組織においては所帯が大きくなれば部門が必然的に設けられるように、派閥が出来ることは必然である。問題はその運営と連携であろう。これまで紆余曲折してきたが自民党において、その牽制がプラスに働く効果で前進してきた。半面、金権政治がその裏で作用した事実もある。おおよそ組織は長く続くと、本来の目的を外れて利己目的に傾くことが多い。桜田議員がとてもノルマを達成できないと、派閥を脱退したことに自民党の体質が表れた。
 日本の国益を考えると、野党陣営がとても任せられる状態にない。長年、求められていながら、ただ批判だけで理念や実効性のない政策を弄んで、自民党に立ちはだかれなかった。自民党の独走を阻止できない野党は、ビジョンを持ち国を導く政党になって欲しい。今回の問題にどの様に行動するかが野党各党の存在意義を国民は見定め、将来を託すに値する党であるかを見定めることになる。失点を非難するだけであれば、国民は無視されていることを表す。自民党は国民への裏切りを猛省して、身を正し国政を取り仕切って欲しい。
 改めて政治資金規正法を見直して、政治を逸脱しない法に改める法律のために、国会議員のみならず有識者を含めた知識を動員して欲しい。

相変わらず暢気な大学--孔子学院

 〝孔子学院〟をご存じだろうか。中国が各国の大学を中心に展開している語学教育を謳ってスパイ機関となっている組織だ。アメリカなどの欧米では危険視して閉鎖などが進んでいる。しかし閉鎖しても大使館などを介して、同様のスパイ活動をしている。
 過去、日本の大学での設置を調べたが、現在でも相変わらず危機意識を持つこともなく同じ大学に存続している。現在、早稲田大学・立命館大学・桜美林大学・武蔵野大学・愛知大学・関西外語大学・大阪産業大学・岡山商科大学・北陸大学・福山大学・山梨学院大学・立命館アジア太平洋大学に存在する。中国の活動は巧妙で大学組織のみならず学生も標的にする。日中友好などと浮かれていることが、日本にスパイ活動の拠点を与えている。
 日本人は、相手との関係を直接的な一直線で解釈するが、世界の人の標準は表の顔と裏の複合的な顔を持っている。優しさや包容力も大切だが、もっと世界的にものを見る目や考え方が必要だ。ロシアのウクライナ侵攻やガザ闘争でも明らかなように、不条理なことが当たり前な世界の歴史と将来を考えた感覚を身につけなくてはならない。大学はその様な感性豊かな人材を育成する場であるはずなのだが…。

誰もかれも国を頼っていながら、文句だけは言う--大阪万博

 大阪万博が来年開催されるが、例によってメディアや国民の批判の対象とされている。メキシコなどの離脱や建設費の高騰で追加費用の発生に、万博否定論まで飛び出している。開催そのものは国際的約束・信頼関係であり、開催を否定する人がその人の存在を否定されるべき発言だ。追加費用の発生は当初の見積もりの甘さがあったことも否めないが、ウクライナ戦争などに伴う世界的物価上昇の影響が大きい。離脱国の発生はまさにそれによる経済危機を反映している。
 万博そのものは国家として受け入れたことは間違いないが、それを一番望んだのは開催地の大阪市であり大阪府だ。事実、その恩恵を受けるのは開催地であることは明白だし、それ故誘致を望んだ訳だ。故に理事は大阪市長や大阪府知事が顔を揃え、経済主体の性格から経団連会長や関西の面々が理事会を構成している。オリンピックとは違い国民よりは地元民の性格が強い。従って積極的に誘致を望んだ大阪市・大阪府(つまり日本維新の会)が責任を持って関わるべきであるが、旗色が悪くなると政府の陰に隠れてしまった。
 世間からは不評であるが、岸田首相は責任感が強い。何とかしなくてはと自らみこしを上げてしまった。先ずは当事者に責任のある運営をさせるべきであろう。メディアも術を習得しているから、何事もまずいものは政府の責任に転化した報道をする。国を責めることは、ある意味国民を責めていることでもある。事あるごとに、細かいことから関係の薄いことまで政府の責任にする。それで終わればまだましだが、まわりまわって事の善悪を理解しないで政府に頼る。つまり政府に頼りたいがために、政府を批判する。つまらん世の中だ。