成長は、不測の事態を経験し、それに対処する能力を身に着けることで達成される。分かり切ったことや経験済みの体験だけでは、成長どころか退歩する。引きこもりや不登校などで、外圧のない世界に閉じこもることは、成長にとっては最悪である。
大人社会の環境で育てると、大人の都合が優先されて、子供は従順に飼い習わされる。自分の事しか考えられなくなった大人は子供から自立したいがために、命令し放置する。ゲームやスマホという便利な道具が出来たことは、子供の為でなく大人のためには絶大な道具となった。小さな子がネット環境を驚く能力で渡り歩くことを、自分の能力不足が、秀でた能力を持っているかの錯覚を与える。ネットを駆使する能力は、間違いなく必要な能力であることは疑わないが、それが受動的で創造力を涵養しないことを放置することに、その場しのぎの大人には無関心だ。
何処の国にも〝鬼ごっこ〟・〝はないちもんめ〟・〝チャンバラごっこ〟のような素朴な子供の遊びがある。そこには敵対する物への対処法や正反対の仲間を作る方法がある。そして何よりも大切な自分では予期していない事態が発生することがあり、それに対応すべき能力を考えさせる場がある。
スポーツには団体競技や一対一で競う競技や記録を競う競技がある。いずれにしても自分だけの都合では成り立たなく瞬時の対応をもとめられる。多くの仲間や遊び仲間があれば、競い合い向上を生む。
ビジネスの世界は変革が激しい。一生の内に何回転職・職種変更を求められるかは分からない。終身雇用で過ごせた大人は、これから子供が置かれている社会環境が激変することを考えなくては、人生を全うしたことにならない。勉学も必要だが変わりゆく社会を渡り歩くために必要な適応力を身に着けさせなくてはならない。これまた子ども同士の遊びを通じて、ケースバイケースに応じて対処する能力を付けなくてはならない。
小さいころから自分の城に閉じこもり、ひたすら勉学に励み社会に出る。身の回りに遊び相手がいないがために、怒りや矛盾や喜びを味わうことなく成長し社会に出る。そのような環境が国際社会基準を上回る人材になれる確率は低い。創造力は未知との遭遇がない限り創出できない。
大国・中国はかつてない程、小国・日本に拘っている
福島原発の処理水放出から1か月経過した。相変わらず中国は反対をし、仲間づくりを国際会議などで行っているが、思うようにならない。それも当然で、小国であっても世界はいつまでもバカでは生きていけない。それが解らなくなった中国は、危険な国と化した。
国内では和服を着用の人を注意・警告・連行などを初め、中国にふさわしくない服装の規制を始めた。注意していると伝統の漢服(チャイナドレスのような服)であったことなど笑えない。一体伝統の服装とはどんなものなのか。古代のドラマを見ると男もチャイナドレスの様な服を着ているし、征服された清の時代もそんな気がする。ならば、それを着ればいいのに…。もしかしたら伝統とは似ても似つかない中国共産党推薦の人民服かもしれない。背広やスカートやパンツやカジュアルなどもっての他であろう。これも小国・日本が従順でないことへの腹いせであろう。挙げた拳の下ろしどころが無くなったものほど危険なものはない。
もはや小国への坂道を下り始めた中国は、荷車に爆弾を積んだ危険物に化した。それに巻き込まれてはならないし、場合によっては近づくまでに爆破しないと巻き込まれてしまう。科学的根拠のない行動を執ったり、気に入らないもには支離滅裂でも反論する精神状態は危険の兆候だ。
日中韓の首脳会談が4年余りぶりに行われるように事務レベルで調整が行われている。小国・日本は大国・中国に、如何にすれば頭を冷やしてもらえるかを大国・日本として示唆したいものだ。会談の成立を期待する。
少子化問題--〔13〕政府依存症の進行
コロナの禍は病気そのもの以外に、物乞いの心を植え付けた。弱者救済や消費拡大などを目的に補助金などが個人にも企業にもバラまかれた。救済の一助となったことも間違いないが、要らぬ干渉はして欲しくないと小さな政府を求める国民が、真逆の助けてくれと大きな政府を求めた。ロシアのウクライナ侵攻を機に世界各地でエネルギー危機や食糧危機が拡大し物価が高騰した。日本の物価は世界と比較して、さして高騰していないにも関わらずガソリン補助などのバラマキがされている。日用品も似たような状況で、さも困窮がすさまじいかの様に報道される。
「困ったときには政府が助けてくれる」。これは大切な政府の役割である。しかし、いつしか国民もメディアも、助け船を前提に意見・行動するようになり、自分で泳ぎ切ろうとするエネルギーを失っていくどころか、考えも失っていく。それでも生活できているのはここまでに築き上げた過去があるからだ。
もしかしたら、バブルが崩壊した以降、本当に弾き飛ばされたほうが良かったのかもしれない。高度成長で積み立てられた資産を、ただ無意味に食いつぶす生活が、不満足ながらも出来たお陰で今日の社会をつくってしまった。「困ったときは政府が助けてくれる」。その虚弱な体質が今の自分の事しか考えられなくした。当然、家族や子孫の意味を考える余裕も失った。
個人が最終的に依存できるのは家族以外にない。
少子化問題--〔12〕労働力の外国人依存
日本に住む外国人は288万人(人口の2%)で、アジア出身者が84%で、最も多いのは中国人。労働者の数は146万人で、そのうち日本のための労働戦力は約40%(「技能実習」21%・「専門・技術」19%)で、残りは留学生などのアルバイトや日系人などだ。そのうち戦力としての直接的労働力としては、外国人技能実習制度のもと32万人が建設や食品製造関係などに、特定技能制度(熟練技術)のもとに15万人が従事している。
技能実習としての労働力は本来、外国人労働者の技能習得を謳ったものであり一時的労働力だ。低賃金からの労働者が主体になるが、彼らの国の賃金上昇と日本の賃金停滞でこれから先の運用は微妙だ。実習と称して労働基準法違反の仕事をさせたり、約束と違う仕事をさせたりもしている。ブローカーの暗躍や逃亡などで運用に暗い影も落としている。
特定技能としての戦力拡大は求められるが、最大のネックは賃金だ。熟練技術を満足させるだけの賃金を保証できない(それほど日本の技術者は低賃金だ)。
問題は仕事意外なところにも発生している。地域コミュニティに従わなかったり混乱させたりする。価値観が違うからと容認ばかりはできない事態が発生する。村社会を構成して、地域に溶け込まない。すでに多くの市町村で外国人の問題が発生している。日頃起きている犯罪に占める外国人の割合は確実に増加している。外国人労働者に依存することは、相当な覚悟が必要だ。世界の難民問題で起きていることが我々の身近な出来事になることは明白だ。
日本からの移民がハワイ・ブラジル・ペルーなどで苦汁をなめながらも社会に溶け込んで活躍している。日本人としての閉鎖社会も造っているが、子孫は思った以上に迫害されていない。それはそれらの国が子供を多く設け続けているから、思った以上に日系人が気にならないからだ。しかし、少子化の日本人は、たとえ労働力になってくれても不満は爆発するだろうし受け入れないであろう。島国日本は、たとえグローバル社会であっても、自前で労働力を創出することが一番である。
晩節は本来の自分で過ごしたい
昔と比べればテレビの音楽番組は減少した。その中で長寿番組と言えば『ミュージックフェア』だろう。司会はタモリだ。この番組も今世間を騒がせているジャニーズのためのジャニーズ事務所の番組にいつしか変貌した。番組自体は内容を吟味して、より視聴者のためのものにすればよい。
タモリは若い時期を苦労し独自の存在価値を築いた人であろう。独特の軽妙な雰囲気はその表れであろう。紀行番組の『ぶらタモリ』は彼の趣味を生かした味のある番組だ。そこにはお笑い芸人を卒業した苦労人の晩節が垣間見えてくる。
しかし音楽番組の司会をしている彼の姿に痛々しさを感じる。決して好きな曲でもないのに、さも名演であるかのようなコメントに付き合う。ジャニーズ問題が露見したから言うのではない。彼には似合わないのだ。人の演じる姿を誉めそやす役を演じることは。
韓国がまともな国に向かっている
韓国の「共に民主党」の代表・李在明の逮捕を韓国国会が承認した。都市開発に伴う収賄・北朝鮮への不正送金などの罪であり当然の結果と言える。議席数は野党が過半数を占め承認の可否が微妙であった中、野党の造反があり承認されたことは自浄作用の表れである。先の慰安婦連の元代表へ一審より重い罪を判決したこともあり、先進国への道筋を示した。
先の文在寅政権の異常な政治行動が終わり、党代表の国会議員・李在明がハンガースト行動をとる異常行動などは、民主主義も範疇を逸脱したものと言えるどころか狂人の態である。一刻も早く旧来の腐敗した政治を清算して未来への旅立ちをして欲しい。
尹錫悦政権と岸田政権は融和を奨め、両者とも国際場面で高い評価を受けた。しかし韓国は多くの難問を抱えている。経済の停滞・少子高齢化問題・北朝鮮の策略・中国のイジメなど不安材料は多い。これらは過去も国内情勢を不安定にしてきたし、これからは更に不安を煽る。それに乗じる左派が北朝鮮や中国と結託してフェイクを煽り、国情を混乱させる。残念だがそれが宿命の国だろう。他国が深く関わることではないが、日本にとっては重要な問題であることは事実だ。前を向くための手助けはすべきであろう。
要らぬお世話--大谷翔平
エンゼルスの大谷翔平が腕の手術に成功したと報じられた。今期の出場は終わったが、まずは一安心である。充分な静養をして今後の活躍を期待する。
彼が投手と打者の二刀流に挑戦し、その成果を挙げたことは特筆に値する。今後更に成果の上積みを期待するのは、大方の望みであろう。当然、今後の方向性は彼自身が決めるべき問題である。つまり、世間は二刀流を期待し、彼自身はどのように人生設計をしているかは分からない。ただハッキリしていることは、彼も人間動物であることであり、スポーツ競技には若さ先行の側面があることだ。過度な酷使は早期の減退を招く。よく言われる「丈夫で長持ちか、咲いて散る」かの選択が、何時か求められる。彼の野球生命を左右する決断が求められる時が来るが、彼は正しく判断するであろう。
技能を磨いて、ショーとしている限り、賞賛も批判も受ける。二刀流の継続の賛否を個人が望むことは自由である。しかしメディアとして、番組のネタとしてその継続が望ましいかの如く報道することは許されない。個人とジャーナリズムの区別が出来ていないメディアが、決めて言うことは罪である。
少子化問題――〔11〕若者が必要なわけ
経済成長には、次のものが必要だ。
①資本投入量(設備ストック)
②労働投入量(就業者数)
③全需要生産性(技術力)
①は基本的に企業が市場の需給や自身の可能性などで総合的に戦略を練り、資本投入の方向や量が決まる。
②は現状の社会情勢に大きく左右される。少子高齢化の日本においては、難しい点が山積している。高齢化ではその分野の市場が開拓・改善に向かって国内産業は期待できる点もあるが、戦力としては消えゆく現実がある。必然的に他極の若者が焦点になるが、その若者が減衰の極みとなっている。若者の増産(失礼)の恩恵は頑張ったとしても20年先の結果しか期待できない。マンパワーを考えるとき、安易に考えれば外国人労働力に期待することになる。外国人に期待する分野は、肉体労働を主体とする産業が主体となるが、今や相対的には日本の賃金水準は並みでしかなく、魅力のある国ではない。本気で考えて長続きのする方法にはなり得ない。増してや高度技能労働者の獲得は夢のまた夢である。
③は①と②を糾合して解決できる問題である。大企業は過去にない法人税を納付しているし、同時に資本の蓄積もしている。地球温暖化問題や覇権主義国家の横暴は産業にも大きな変革を求めている。同時に企業も人も社会全般が大きく変革を求められている。それに向かって研鑽努力することにより技術力を向上を果たせるかがのカギである。中小企業も自分の城に閉じこもるだけでなく、離合集散して他社に依存する体質から脱却しなくてはならない。システムを改革して生産性の向上を目指しているマイナンバー制度にさえも付いて行けないようでは目の前は闇ではあるが……。
一般の我々は②と③で貢献することが直接的貢献である。変革の激しい時代は技術・能力の陳腐化は当然である。個人もそうであるが、社会においても自然の世代間の更新が必要だ。若者が求められる点はそこにある。世の中は国際社会(グローバル)で動いているし、過去の経験でも若者の存在が国の運命を左右してきた。
ヨーロッパ諸国の衰退が進む中、アメリカが依然としてリードしているのは若者の比率が高いからだ。追いかけるように韓国・日本・中国が衰退し、グローバルサウスの中で有能な若者が育った国が台頭してゆく。軍事力同様に若者も実態がない限り見果てぬ夢を追うことになる。
少子化問題--〔10〕将来への責任放棄(世代サイクルの崩壊)
日本の年金制度は世界に誇れる制度だ。20歳から60歳を基本に、毎月16520円の納付をすれば老後毎月65000の給付を受けられる。国民年金基金や厚生年金などは納付額に応じた給付金が付加される。
よく若者は「自分たちの掛金で老人を支えているが、自分たちが老人になったときは僅かしかもらえない」と不平を言う。制度を見れば分かるように、ある世代が先の世代への原資を積み立てるシステムだ。そして積み立ている世代は次の若い世代に原資を仰ぐことでになる。俗に言う〝輪廻〟システムだ。
当然、積み立てる額が多いほど将来の受け取る額に対する補償が担保されるし、受け取る額も多くなる。つまり、過去自分たちの世代が積み立てた金を受け取っている訳だ。それは、今の若者も自身が積み立てた額で将来の老人としての受取額が決まる意味だ。
不平ばかり言って、納付しないことは将来、自分に跳ね返ってくることぐらいは知っている筈だ。老人の不安は死や病だけではない。生活資金の問題も重大だ。若いうちは気付かないが仕事をリタイアした老人にとって、掛金を回収するウンヌンではなく、たとえ定額でも安定して収入となる年金は拠り所であることは事実だ。医療体制もコンセプトは類似の制度で、直接費用を軽減している。介護保険は老人自身も出資している。
テーマの少子化問題だが、今の老人は4~5人の子孫を養い、彼らの出資で年金の恩恵を受けている。今の若者は1.5人の子孫の支援で老後を送らなくてはならない。マジックを使っても今の若者は老人のような恩恵は受けられない。仮に年金での恩恵を受けたとしても、他での犠牲は大きい。
解決策がないわけではない。経済を成長させて豊かにすることだ。日本のような資源貧乏国は雇用を増やしてグローバル世界で生きるしかない。つまり、子孫を増やして産業を成長させることだ。国内のサービス業だけ発展させても、国は豊かにならない。活力のある若者が先ずは増加しなくてはスタートが切れない。それが出来れば若者も将来の不安が軽減され前進する。前進には世代間の連携が必要だ。
国益に寄与しようとしない若者女性
OECDが加盟38が国の理工系(STEM)大卒比率を発表した。日本は何位だと思いますか?
岸田改造内閣の女性大臣が5名になった時、野党・メディアはダンマリを決め込んだ。引き続き副大臣・政務次官人事で女性がゼロになると、喜び勇んで批判を始めた。先ずはこの程度の野党・メディアである。褒めるときは褒めるメディアでないと、世間は信用しないのが普通であるが、そうならない世間も寂しい。
さて、問題の順位だが、予想どうり最下位だった。1桁順位を答えた筋は真剣に日本の置かれた将来を考えて欲しい(失礼)。「自然科学・数学・統計学」の分野で27%、「工学・製造・建築」で16%。(38カ国平均は「自然科学・数学・統計学」は54%。最も高いのはポーランドの70%で、スロバキア67%、エストニア65%と続いた。日本は2番目に低いチリの40%も大きく下回った)。このような状態はOECD発足時から、ほとんど変わりない。
大学進学率は女性の方が高い。しかし理工系への進学率は、見ての通りで女性は何を学びに大学へ進んでいるのだろうか。文科系偏重であることは、半世紀も前〝駅弁大学〟と揶揄された時期から続いている。少なくともバブルが崩壊した30年前からは、理工系へのシフトが始まらなくてはならなかったはずだ。その間、本人は勿論、親や学校や大学は何をしていたのか?。これも政府の責任とは絶対に言わせない。企業を含めた社会の責任だ。
少子化問題を語る時、授業料の免除を言うが、それには反対はしない。しかし、役にも立たない学問に対する授業料まで税金を投入することには賛成できない。政府も既に文科系の学部の増設を規制しているが、更に踏み込んだ理工系へのシフトを進めるべきだ。黙っていても少子化で大学は淘汰されざるを得ない。教育内容の抜本的改革をして、将来に役立つ、実りあるものにすべきだ。
男女平等だ自由だと、享受することは拒まない。しかし、国益に寄与しない・個人の人格を高めない教育に費やす予算は無駄だ。ここでは若者女性に敢えて言う。「今のままでは、貴方自身のみならず、自身の子孫の代まで崩壊する」。
これも色々の場面で、女性の起用が進まない理由のいったんです。