自民党派閥の政治資金パーティ問題で揺れている。派閥所属議員にパーティ券のノルマを課し、ノルマ達成者にキックバックしていたとのことだ。そのこと自体は法的には問題は無いが、政治資金として記載していない議員が存在する疑惑だ。検察が捜査していることであるから、必要以上に国会を浪費するのではなく、本来の議論に集中することも必要だ。
特に自民党には派閥があり、幾度となく派閥の功罪は議論されてきた。組織においては所帯が大きくなれば部門が必然的に設けられるように、派閥が出来ることは必然である。問題はその運営と連携であろう。これまで紆余曲折してきたが自民党において、その牽制がプラスに働く効果で前進してきた。半面、金権政治がその裏で作用した事実もある。おおよそ組織は長く続くと、本来の目的を外れて利己目的に傾くことが多い。桜田議員がとてもノルマを達成できないと、派閥を脱退したことに自民党の体質が表れた。
日本の国益を考えると、野党陣営がとても任せられる状態にない。長年、求められていながら、ただ批判だけで理念や実効性のない政策を弄んで、自民党に立ちはだかれなかった。自民党の独走を阻止できない野党は、ビジョンを持ち国を導く政党になって欲しい。今回の問題にどの様に行動するかが野党各党の存在意義を国民は見定め、将来を託すに値する党であるかを見定めることになる。失点を非難するだけであれば、国民は無視されていることを表す。自民党は国民への裏切りを猛省して、身を正し国政を取り仕切って欲しい。
改めて政治資金規正法を見直して、政治を逸脱しない法に改める法律のために、国会議員のみならず有識者を含めた知識を動員して欲しい。
相変わらず暢気な大学--孔子学院
〝孔子学院〟をご存じだろうか。中国が各国の大学を中心に展開している語学教育を謳ってスパイ機関となっている組織だ。アメリカなどの欧米では危険視して閉鎖などが進んでいる。しかし閉鎖しても大使館などを介して、同様のスパイ活動をしている。
過去、日本の大学での設置を調べたが、現在でも相変わらず危機意識を持つこともなく同じ大学に存続している。現在、早稲田大学・立命館大学・桜美林大学・武蔵野大学・愛知大学・関西外語大学・大阪産業大学・岡山商科大学・北陸大学・福山大学・山梨学院大学・立命館アジア太平洋大学に存在する。中国の活動は巧妙で大学組織のみならず学生も標的にする。日中友好などと浮かれていることが、日本にスパイ活動の拠点を与えている。
日本人は、相手との関係を直接的な一直線で解釈するが、世界の人の標準は表の顔と裏の複合的な顔を持っている。優しさや包容力も大切だが、もっと世界的にものを見る目や考え方が必要だ。ロシアのウクライナ侵攻やガザ闘争でも明らかなように、不条理なことが当たり前な世界の歴史と将来を考えた感覚を身につけなくてはならない。大学はその様な感性豊かな人材を育成する場であるはずなのだが…。
誰もかれも国を頼っていながら、文句だけは言う--大阪万博
大阪万博が来年開催されるが、例によってメディアや国民の批判の対象とされている。メキシコなどの離脱や建設費の高騰で追加費用の発生に、万博否定論まで飛び出している。開催そのものは国際的約束・信頼関係であり、開催を否定する人がその人の存在を否定されるべき発言だ。追加費用の発生は当初の見積もりの甘さがあったことも否めないが、ウクライナ戦争などに伴う世界的物価上昇の影響が大きい。離脱国の発生はまさにそれによる経済危機を反映している。
万博そのものは国家として受け入れたことは間違いないが、それを一番望んだのは開催地の大阪市であり大阪府だ。事実、その恩恵を受けるのは開催地であることは明白だし、それ故誘致を望んだ訳だ。故に理事は大阪市長や大阪府知事が顔を揃え、経済主体の性格から経団連会長や関西の面々が理事会を構成している。オリンピックとは違い国民よりは地元民の性格が強い。従って積極的に誘致を望んだ大阪市・大阪府(つまり日本維新の会)が責任を持って関わるべきであるが、旗色が悪くなると政府の陰に隠れてしまった。
世間からは不評であるが、岸田首相は責任感が強い。何とかしなくてはと自らみこしを上げてしまった。先ずは当事者に責任のある運営をさせるべきであろう。メディアも術を習得しているから、何事もまずいものは政府の責任に転化した報道をする。国を責めることは、ある意味国民を責めていることでもある。事あるごとに、細かいことから関係の薄いことまで政府の責任にする。それで終わればまだましだが、まわりまわって事の善悪を理解しないで政府に頼る。つまり政府に頼りたいがために、政府を批判する。つまらん世の中だ。
サッカー・アジア予選、北朝鮮戦など見たくもない
W杯サッカーのアジア予選が行われている。シリアの5-0で勝利し快調である。放映権はホームチームにあるが、シリア戦は日本での放映は無かった。ファンとしてはLIVEで見たいのは尤もだが、億円の放映権を提示されて日本のサッカー協会やメディアは断念したとのことだ。そのような高額を払っての見るだけの価値はない対戦相手だ。
次は、アウェーで北朝鮮戦だ。北朝鮮は数億円の放映権を提示するのではないかと噂されている。サッカーをするよりは格闘技をすることが予想される試合など、見たいとは思わない。国民の飢餓は放置して軍備と私利に目のくらんだ金政権に払うほど、無駄な金はない。
日本サッカー協会もメディアも、適正な放映権料でない限り、絶対に買ってはならない。ファンもそれを望んでいる。「日本、オレ! オレ!」
マンマと策略にはめたメディア--内閣支持率
岸田内閣支持率は各メディアとも軒並みに30%を割った。自民党支持率は30%超である。この両方の数値合計が50%を切ることが真偽はともかく危険水域と言われる。岸田内閣が発足して2年余りだが、世間の評判は良くない。
人気のない原因は何なのか。果たして国民は明確な理由を持っているのであろうか。比較論だけで済むことではないが、これまでの内閣と比べて支持を得ない理由が何か特別のものがあるのであろうか。ただ単に物価が上昇して生活が苦しくなった生活感が原因ではないのか。これまでがデフレで物価が抑えられていただけで、目の前の生活が助けられていただけで、国が繁栄する一つの要素である物価上昇を、目先の生活苦を必要以上に誤解しているのではないか。
メディアの責任は検証することであって、批判することではない。そのためには国際情勢を含めた幅広い事実を理解して、また将来を見据えた観点で検証しなくてはならない。今のメディアはその核心を持って国民に報道していない。政権を目指す野党の、目先の一挙手一投足を批判する仕事と何ら変わることの無い仕事しかしていない。メディアは自社の利害ではなく、国民を・日本を繁栄させるための利害を二の次にした検証を行うべきで、批判は第一の目的ではない。
SNSなどに押されて、テレビ・新聞の衰退に焦りを感じているメディアの自己都合の報道姿勢はSNSに反比例して自制心を失ってしまった。活字離れ・視聴率低下でなりふり構わない姿勢が当たり前になってしまった。旧ジャニーズ問題などはその典型で、検証をする作業が出来なくなっているから長く放置し、自分の利益ばかり考えるから善悪の見境もなく利用し続けた結果ではなかったのか。あれから半年、メディアは何もなかったかのように、反省の色はなくなった。
さて、内閣支持率の低下である。国民は内閣の批判報道は耳にタコができるほど見聞きさせられるが、賞賛報道はどれだけ見聞きさせられたであろうか。毎日・事あるごとに批判の報道をされれば、国民はおのずと洗脳される。中国の日本批判の洗脳教育と変わりない。社会主義思想の洗脳統治体質は未だに、メディアでは主流として生き続けている。責務である〝検証〟をしないで、〝批判〟ばかりを聞けば、専門家でない国民は内閣不支持になる訳で、メディアの思う壺であろう。
仕事が出来る人には高給を--格差があることが正常
貧富の差が広がっていると言う。本当にそうなのだろうか。労働者であれば、自分が努力し成果を挙げているにも関わらず、周囲に余り働かないで同じような給料を貰っている人がいたらどう思うだろうか。当然、それは不合理と思うはずだ。格差格差と言っている人も、この状態を許さないであろう。貧富の差があって当然であるばかりか、無いことが異常なことである。
このたび大臣の給与の引き上げが人事院から勧告された。当然公務員であり、一般の公務員も引揚されている。何故、大臣だけ引き上げが悪いことなのか。反対している政治家は自分が対象でないことを悔しっがっているとしか思えない(当然、票目当ての反対だが)。いかにも重大事かの如く報道するメディアも、ただ正義ぶった偽善者でしかない(職場では自分の昇給に血眼になっているのだから)。国民だって同様だ。
このような発想しか持てないから、日本の経済は停滞するのだ。くだらない理屈で生産性を下げる。成長するものの足を引っ張る。前進を阻む政治家やメディアは退場しなければ、国民のためにならない。
政治家だけではなく、与えられた責務は果たして見合った報酬を得れば、まともな労働となる。「30年の停滞」とばかり、言葉遊びをするが、成果に対する正当な報酬を与えなかったことがそれを招いたことが、未だ解っていない。
痛み分けは出来ないのか--パレスチナとイスラエル
ハマスがイスラエルに侵入し人質を取り、イスラエルが反撃して1月が経過した。200人余りの人質をとる行為はテロと言われるのももっともな行為だ。それに対抗するイスラエルの攻撃も正当防衛と言える。パレスチナとイスラエルの確執の起こりは当事者ではなく、関係各国の思惑の中で出来上がったものであることが収拾の困難さを生じさせた。更に悪いことは将来について各国の思惑が働き、代理戦争の如き様相を呈している。
パレスチナとイスラエルの間には、お互い不満ながら一応の線引きが出来ていた。パレスチナはヨルダン川西岸とガザ地区でその他はイスラエルと国際的には考えられていた。その均衡を破る行為がイスラエルによるパレスチナ領への入植行為だ。その癌のように蝕む行為がパレスチナを刺激しハマスのようなテロ組織を助長した。イスラエルは直ちに入植は中止すべきだ。
ハマスは通常であれば戦闘能力はさほどではないはずだが、そうなっていない。そこには他国の支援があることは間違いない。イランとロシアの実物支援が混乱を助長している。ハマス自身も蜘蛛の巣状に地下道を巡らしていることは、長い年月の戦闘を考えてきたしこれからも考えるであろう。
中東戦争終了時の勢力図に戻すことしか解決図はない。それにはイスラエルは入植を止める。イランやロシアはハマスへの支援を止める。国連は自身の存在価値を懸けて調停に努める。各国はそれを支援する。パレスチナ問題は明確な答えを出せない問題だ。そのような問題は現状維持が答えだ。
自治体も国策を念頭に
自治体のわが身一番の典型は、沖縄県の辺野古移設反対と静岡県のリニア新幹線トンネル妨害であろう。自分のことが大切なことは当然であるが、最終的には国のことを考えた決断ができることが必要だ。
徳島県が公立高校に中国のツーウェイ製のタブレットを導入した。このほど2割に当たる3500台が内部の熱膨張で故障して使えなくなっていることが判明した。どのような経過で選定されたかは定かではないが、価格の面が最優先されたことは想像できる。性能や耐久性は二の次であったであろう。製品に対する知識を販売業者に任せきった結果では、教育現場の面目は保てない。デジタル化を推進する過程において、旧態のついて行けない層が将来を担う若者を育てる現場で足止めしている現実が不安だ。
問題は2年前に導入された機種についてである。ツーウェイは20年前に設立されたが、予てから製品の信頼性に不安を持たれていた。はたして導入時にそれを適切に判断されたのであろうか。適切な国産品を導入することはできなかったのであろうか。価格が問題であるのであれば、国の補助を受ける制度が無かったことに問題があるのだろうか。自治体の懐が厳しいことが理由であることは自明であろうが、国との連携は取れなかったものか。安いが勝ちの市場理論はあるが、2年で使い物にならなくなる導入は結果的に高くついた。結果教育現場では故障しただけでなく、授業に支障をきたし本来の教育の目的を果たしていない。
公的機関では、もっと露骨に国を考えた発想をして欲しい。2年前は既に、中国の露骨な横暴が目に見えていた時期だ。国もそこをわきまえた資金と体制の維持に努めて欲しい。
真偽の判断をつかなくしたのは誰だ
世論調査が疑問を持つことなく行事的に行われている。岸田内閣の支持率は相変わらず低い。岸田内閣の行ってきた主なものには何があるか、把握はされているのであろうか。
・日韓融和
・マイナカード促進
・原発再稼働
・福島原発処理水放出
・防衛費43兆円(5年分)確保による自衛力強化
・防衛3文書作成
・武器輸出3原則の緩和
・少子化対策
・新型コロナの5類移行
・半導体助成とTSMS誘致
・G7を通じての国際力強化
・大学ファンド「国際卓越研究大」
等が就任2年の間に実施・政策された。2年間でこれだけの問題に取り組んだ内閣がかつてあったか記憶にない。
国民も野党もメディアも識者も、口をそろえるように「首相は何を言っているのかわからない」「情熱的な説得性がない」「丁寧な説明がない」などと批判する。批判する人たちは何を基準に判断しているのであろうか。相変わらず、ことの善悪ではなく、慣例によるムードで批判しているのではないか。ただ単に首相のクールな演出に嫉妬し、反感を表しているだけなのではないか。
今の国民の貧困を生み出したのは、政治によるものより、国民個々人の無策無能によることが一番の原因ではないか。何かあれば政府に頼り、その恩恵をけなしてうさん晴らしをする。何もできない野党と、何でも批判しかできないメディアの口車に乗って、やる前から批判しかできない国民になってしまった。自分で理解努力をしないでゲーム感覚で政治を見下す。
岸田内閣を支持して言っているのではない。政治の実態を正しく評価しないで表面的なムードで判断を下すことは、取りも直さずポピュリズムの表れではないのか。昂じすぎると混乱と悲惨さを生み出してきた歴史を見ると、国民の理性が必要な時期を感じる。
日本の独自外交を褒める
パレスチナのハマスがイスラエルを攻撃し、イスラエルが反撃攻撃した。これに伴って各国が自国の立ち位置を表明した。日本は「すべての当事者に自制を望む」「テロ攻撃は許されない」との談話を発表した。日本を除くG7各国は「イスラエルの自衛権を支持する」と発表した。
メディアはG7の議長国である日本はなぜイスラエルの自衛権支持を発表しないのかと、批判気味に報道する。挙句の果てにはG7から見放されたかの如く論評する。G7の会合でもない問題で、議長国である責任論などお粗末な発想をする。まるで定型的な〝村八分〟が如き旧態依然とした発想しか出来ていない。
欧米各国には多くのユダヤ人が住んでいる。それは取りも直さず、貴重な票田でもある。これまでもイスラエルとは友好的関係であった。G7のうち欧米6カ国がイスラエルを支持することは、自然の流れである。相手がテロ組織であること以前の常識だ。一方、日本は気持ち的には親イスラエルであるが、ユダヤ人が住んでいる訳でもないし、戦争をする国を軽々に支持することはすべきではない。
アラブ人とユダヤ人の間には3000年の長い歴史がある。その大半が対立の歴史だった。そこには簡単に妥協することのできない歴史があったし、現在も将来も解決が難しい関係だ。俗に言えば〝どちらも良いが、どちらも悪い〟解決困難な問題だ。メディアは報道の前に、アラブとユダヤの歴史を真剣に把握して、視聴者を洗脳しない報道をして欲しい。ついでに〝国〟とは何であるかも。
このたび日本が定型的に欧米に追従しなかったことは、国が求める国益を考える政治の一端として見守りたい。