子供子育て支援

 子供子育て支援法案が成立した。これを管轄する加藤大臣の腰の弱さと自信のない姿が、寂しい。医療費などから月500~1000円程度、補填する財源であるが、子供のいない人には取られ損との批判が出る。
 子供とは国家・人類にとって何であるかを改めて考える必要がある。だれも将来を考えた時、必要不可欠な存在であることはわかっている。また、ものごとの大半は縮小がいかに問題であること理解している。地球全体ではこれ以上の拡大は好ましくないかもしれないが、日本にとってはこれ以上の人口縮小は問題が多すぎる。
 したがって、子供を育てやすい環境を整備することに異存はない。金銭的な支援をすることで、乗り切らなくてはならない状況に陥っているわけだ。国民皆保険と言われるように、日本では世界に冠たる制度が充実している。医療費などから補填することは、本来の財源ではないと言えば正論に聞こえる。行きつく先は増税につながる。世の中はすべて増税反対とし、悪と罵る。しかし、必要な税は徴収しないと物事は解決しない。
 平等に慣れ、当たり前と考える国民は、一律に医療費などから天引きすることは子供のいない人には平等でないという。真実はその前に子供のいない人は、国を考えた特に大変な不平等を行っている。その典型が年金であり、労働力の不提示であろう。個人には事情があるから一律に言うつもりはないが、子供のいない人が子育て支援金を拠出しても罰は当たらない。

日米首脳会談

 日米首脳会談が行われ、安保連携で一致した。サプライチェーンの整備・宇宙開発・人工知能・量子・次世代太陽電池などの経済安保でも一致した。その項目は70に及ぶ。今回の特徴はアメリカ主導ではなく、日本の意向も反映されたことである。
 これまでは〝スパイク・アンド・スポーク〟と言われるアメリカを中心に据えた星形の国際関係であった。しかし、これはアメリカの負担を大きくするとともに、周辺国間の連携が薄かった。したがって、〝ネットワーク〟の構図が具現化した。日米同盟・米韓同盟・オーカス(米、英、豪)・クアッド(日、米、英、インド)などを介して周辺国間の連携を可能にした。日本は加盟していないオーカスに次期戦闘機などの供与を通して係る。つまり、アメリカ同様、ネットワークの中心に位置することになる。
 日本の平和主義者は、軍事的要素に目がくらんで異論を述べるであろうが、結果的に求めているのは経済安保である。異論の有る者は、中国やロシアの行っている仕業が目に入っていない。中国がこれほどの拡大進出思想を持たなければ、このような発想も実現する必要もなかったであろう。平和を叫べば、いつまでも〝お花畑〟の発想が通用しないことは、ウクライナやガザや香港などを見れば明らかなことだ。
 世界への関与を強めることになるが、すぐに深めればどう責任を取るのかと尻込みする。しないと、なぜしないのかと責める。どうしようもない人々である。いずれにしても、立ち止まることは世界が許さない。一度は経済で成功したが、政治は子供であった。今こそ、政治・経済で世界に関与する時代となった。国民は眠りから目覚めなくてはならない。

岸田首相を凌ぐ政治家はいるのか

 日米首脳会談の後、岸田首相が米議会で演説を行った。通俗的に言えば英語で30分余りの演説は日本の首相には無かったことだ。さらに原稿を読むでなく、自分の頭で話した。日本人の国際性のなさは、英語が話せないことも一因だが、首相はそれを自分で覆した。議員も再三のスタンディング・オベーションで拍手を送っていた。英語を話せることと政治力は関係ないという人もいるが、今日のグローバル社会においては必須と考えるべきだ。英語力のある首相に宮澤喜一がいたが、残念ながら学者的発想・行動しかできなかった。政治家として大成したい人は、政治力とともに、ぜひ英語力を身に着けてほしいものだ。
 演説の要旨は、日米が協調して安保を守る、日本はアメリカに投資し貢献している、ウクライナを支援して自由世界を守るなどが骨子であった。安保などのことは議員たちには周知のことだ。首相の本心は、日本はこれまでのように受け身でアメリカと強調するのではなくて、主体的に役割を果たす決意を示すことだった。また、いつまでもウクライナ支援予算に反対する共和党議員への催促であった。
 日本国内では、作られた作為的報道で人気はない。いまのような世論操作は国のためにならない。世界に羽ばたく政治家を応援する国民としての義務を、果たさなくてはならない。しかし、彼らには残念であろうが、今の与野党政治家の中に岸田首相を凌ぐ国際性を発揮できる人物は見当たらない。困難な国際情勢においては、足を引っ張るのではなく、国を挙げて応援する気概が必要だ。少なくとも入れ替わり立ち代わりの、日替わり内閣の状態は、世界になめられるだけだ。反日一辺倒の自虐的報道ではなく、たまには賞賛の報道をしなくてはメディアの使命は果たせない。

古代へと逆行する朝鮮半島

 韓国で総選挙が実施され、野党が勝利した。選挙前よりさらに野党が票を伸ばしたが、憲法改正などに必要な3分の2には及ばなかった。尹錫悦政権はさらに行政の運営が難しくなるであろう。それにしても選挙戦は非難合戦に始終し、他国ながらおぞましさで身が寒くなった。かつての文政権のもとの反日政策が、再び起きるのではないかと心配である。
 古代、日本の飛鳥時代頃の朝鮮半島は北に高句麗、南を新羅と百済が二分して三国の時代があった。高句麗は唐に滅ぼされ、やがて百済が唐と手を結んだ新羅に滅ぼされた。新羅は高麗によって滅ぼされ、半島は統一された。朝鮮・コリアは高麗に由来する。次に李氏朝鮮に引き継がれ第二次大戦後の朝鮮戦争までは一応は統一された半島であった。現在は北朝鮮と大韓民国に分断されている。
 北朝鮮の統治方法はまるで、古代高句麗の騎馬民族の武闘国家のようである。韓国に位置する百済・新羅は文化も花開いた開明国家であった。しかし結局は唐(中国)の元で滅ぼされ、生き残った新羅も唐の影響下から抜けきれなかった。高麗も李氏朝鮮も中国の大中華の元、小中華を築き、甘えと狡猾さで国を保った。
今流にいえば、こうなろうか。北朝鮮は武力は整えても庶民は疲弊し、国民が金王朝を倒す力もなく、やがて中国に懐柔される。韓国・保守派は民主主義で国を支えるだけの国民の素養はなく、
韓国・革新派は疑似独裁で国民は扇動されて国は2分される。国内は中国依存派と独立独歩派に分かれて混迷し、富裕層は国外脱出を始める。
 その昔、滅亡した百済から大勢の王族が日本に亡命した。数は劣るが、新羅・高句麗からも亡命者が日本に来た。彼らは国を捨てて亡命したが、結果的には富裕層であり、民を見捨てて来た。現在、有能な若者を中心に日本での職場を求めての来日が増えている。富裕層は北米・シンガポールなどへの脱出組が増加している。これが、内部分裂を繰り返し、非難しかしない民族の末路だ。儒教などと礼節をいうが、実態はわが身の可愛さのご都合主義だ。
鎌倉時代に蒙古の襲来があった。その実態の戦いは高麗との戦いであった。朝鮮は中国の先兵として血を流した。豊臣秀吉は入明を目指して、朝鮮を踏み台にした。衰退した清に見放されたときは、ロシアの南下政策の標的とされ、結果は日本に併合された。今の朝鮮は中国の先兵としての兵站の最有力国だ。ロシアがウクライナ戦争に外国傭兵を先兵として国民に戦いの実感をさせていないようにしているように、宗主国はそれをする。
古来日本は、地政学の利を生かして国を守り続けてきた。今の日本は、″
井の中の蛙〟がごとき、非難中傷発掘の政治をしている。朝鮮半島の文明(?)は、もういらない。他国の事情に左右されない外交力とともに、確かな兵站としての武力を準備しなくてはならない。

ピント外れの若者・メディア

 政治の世界は、今や大荒れだ。自民党の裏金が悪いのに政府が悪いと、短絡的に結び付けて話の論点が解決から遠ざかる。挙句の果てには派閥が悪いと、解消を叫び、悲しくも派閥を解消してしまう。どことなく政府の失策を望むものは、悪を政府に誘導する。くどい様だが、派閥の存在を罪悪視する人は、組織で有効に活躍していない人か、個人的自営者だ。数人が集まって組織を作って楽しくスタートする。ところが数十人の規模になると急激な難しさが起きてくる。その困難を生業で克服した組織が次のステップに進む。そこではセクションに分けなくては処理できないし、分けないほうが滑稽だ。
 自民党は、そのステップに上り詰めた政党だ。立憲民主党も公明党も共産党やその他の政党は、その域に到達していない。組織を維持するための方法を知らないのだ。直近で政権を担った民主党を見るといい。派閥が存在しない政党は独裁の傾向を持つ。トップは自らを強めようと考え、取り巻きが力を持ち、その他大勢は一匹狼の烏合の衆と化し、反乱する。国民は期待から失望のゴン底に突き落とされる。
 政府・自民党を貶めたいメディアに踊らされて、国民が誘導される。高齢者は派閥的経験を味わってきたから、政府に不満を持つが他人のせいだけにはしない。国はどう成長するかは、いつの時代も若者次第だ。その若者たちを代弁しようとする団体の若者が、ただ単に政府が高齢者が悪いと言う。そこには理論も道理もない。高齢者や二世議員が勇退すればいい、女性議員にチャンスを与えるべきだと言う。金の掛かる選挙が悪いと言う。被選挙権を18歳に引き下げろと言う。さも尤もらしく叫ぶが実態はどうか。
 選挙での投票率は50%前後だが、皮肉にも年代別の投票率は、年代数に近似している。いくら時代を担うとは言っても、若者の投票率は30%前後だ。選挙制度が崩壊していることは明らかだ。一票の格差を言う前にこれを改善することが先決事項だ。この程度の参加意欲で、被選挙権を無条件に引き下げることが異常だ。文句や矛盾をいう、若者団体たちは、「若者の投票率が30%前後」と聞くと黙ってしまう。挙句の果てには「高齢者がのさばる状態に絶望しているからだ」と言う。このような口先だけの人物に国を任せる気になるであろうか。彼らが高齢になったとき、今の若者はあてにならないという姿が目に浮かぶ。不平を言う前に、思想教育のない若者の政治参加の方法を考えて欲しい。

固定観念にこり固まった川勝・静岡県知事

 川勝静岡県知事が辞意を表明した。「御殿場にはコシヒカリしかない」「磐田は浜松より文化が高い」「製造ワーカーは事務職より程度が低い」などの発言を行った。また失言で自分の給与を減額すると言っておきながらしていなかった。そして、何よりの過ちはリニア新幹線を阻止すべく、科学的根拠のないままに大井川の水系に影響が大きと、環境問題偽善者としての発言・行使であった。
 「リニア問題に区切りをつけることができた」と辞任の理由を発表した。先週、JR東海はリニアの開通を当初の2027年をあきらめ2034年ごろと発表した。川勝の発言はこの先延ばしが自分の勝利で、引き際のはなむけかのように聞こえる。何という大罪であり、犯罪であろうか。数万人を擁するJR東海に勝利したとでも思っているのであろうか。リニア新幹線には賛否はある。停滞の続いた日本は、すぐに銭金・環境で足踏みすることが、一番のネックとなっている。無駄を将来に生かす発想が乏しくなっている。川勝は国民を代表した発想でなければよいのだが…。
 大学の教授や学長を経て、静岡県知事4期目であった。その人生は、左翼の転身と繁栄と驕りによる転落が読み取れる。昔の自分を正当化するために、今を華やかなものにして終わらなくてはならなった。しかし、彼には頭の硬い固定観念しかなかった。「御殿場」という土地しか見えず、「磐田と浜松」という比較しかできず、「ホワイトーはブルーカラーに優れる」という前時代的発想から抜けきれなかった。挙句の果てに「環境は何にも勝る」しか頭に浮かばなくなっていた。環境を克服する技術が必要なことまで思い及ばなった。

大谷翔平と連座制

 大谷翔平の通訳・水原一平の賭博問題で、大谷は記者会見をした。もっとも会見ではなく一方通行の自己表明であったが。メディアもファンも彼の主張を信じたいことであろう。水原発言の事実は、最初は大谷が協力的であったが、すぐに自身の個人的行為に変わったことが、この事件のすべてを物語っている。
 国会では、相変わらず政治資金規正法違反と裏金問題で野党議員は4ヵ月も時間を空費した。メディアも国民に取り入るために、また格好の駒つぶしのネタに利用してきた。裏金批判・報道に国民が飽きてきたと思うと、選挙制度に問題がある・世襲議員が問題と国会審議を滞らせる必要のない問題まで出し、国会を愚弄する。挙句の果てには議員と秘書・事務方の連座制などで、暇をつぶす。
 水原問題も連座制で考えると、大谷は完全にアウトになる。なぜ演者は事務方を抱えているかは、考えなくてもわかることだ。主役が心置きなく、本業の仕事をするために脇役は必要である。多忙である演者は自分を守るために精魂を使い果たすようでは、演技は演じられない。そのような演者には魅力はない。
 議員は国を発展させ、国を守るために仕事をしている(はず)。自分の家庭の感覚で、仕事と帳面を管理する感覚で考えてはならない。野党だって、忙しいとは言いながら、十年一日のごとく批判を繰り返す仕事しかしないのであれば、仕事と帳面は管理できるであろう。与党は忙しくてできないと言っているのではない。それができる程度の仕事しかしていないことを、税金泥棒と言っているのだ。

無礼にも程がある

 ドジャーズの大谷翔平の通訳を務める水原一平(39)が大谷の金を着服して賭博資金にしていた。その額7億円という。メジャーでは通訳は球団が抱えるという。二人はエンゼルス時代からのコンビであったが、球団は身辺調査はしなかったのであろうか。余りの名コンビぶりにドジャースも引き続き採用したのであろう。おまけに大谷自身も違和感なく採用していたのであろうが、財布を簡単に預けてしまうことは、庶民には考えられない金銭感覚がマヒしていたと思える。
 大谷はいち個人であるから、どうこういう気はないし、言える立場ではない。問題は些細なことも、さも重大なこととして報道する感覚にマヒしてしまっているメディアだ。ニュースバリューが完全に狂っている。大谷自身には迷惑なことであろうが、メディアは彼を正義のヒーローに仕立て上げ、ニュースを発掘することなく、安易に報道を繰り返してきた。そして、メディア自身が報道することによって、社会の正義になった錯覚に陥てしまった。
 水原の事件が発覚すると、当然取材を行う。かなり以前から賭博依存症だあった事実も発覚した。過去を遡って調べるときの常とう手段として親・親戚を取材する。その行動はそれで仕方のないことであろう。しかし、簡単にメディアに露出してはならない。確かな裏付けをとるべきだし、プライベートを尊重しなくてはならない。あるメディアは何の疑問もなく、親とのやり取りを露出してしまった。やり取りといっても親は、「帰ってくれ」と言うしかない。未成年の子供が犯罪を犯したのであれば、説明もありうる。しかし、水原は39歳の大人だ。とっくの昔に親の手を離れている。このやり方がいかに許しがたい犯罪行為であるかを理解していない。暴露週刊誌の活躍に慣れてしまい、善悪を考えないで売上(視聴率)第一主義に陥ている自分に気づいていない。気づいていても自分を優先する。週刊誌はプライベートな営利機関だが、メディアは公共の電波を託された機関だ。まったく、自分の置かれている立場を全うする気など持ち合わせてない。

開幕前から飽きてきた

 春も近づきスポーツシーズン開幕だ。例にもれずスポーツファンにとっては嬉しいものだが、ファンでない人には関係ない。関係ないはずだが、メディアで必要以上に報道されると、鼻につく。今その典型は、大谷さんに関する報道だろう。活躍したりお目出たがあったことは、それはそれでいい。大谷の力量は当然認めるし、尊敬に値する。それを報道することは問題はない。問題なのは、スポーツとは関係ないことまで根掘り葉掘り報道を繰り返すことだ。大谷自身も内心では、ホットイテくれと思っていると推察する。
 MLB(アメリカ・大リーグ)には、近年多くの選手が加入し活躍してきた。メディアの偏向と鈍感なことは、それらの選手のニュースや活動はほとんどしないで、大谷さんばかり重箱の隅をつつくように報道する。日本人が活躍することを、我がことのように喜ぶ。そうであれば、彼以外のMLBの日本選手の活動状況を、もっとスポーツ精神に基づいて知らせてほしい。特別な活躍以外は、公平に記録の報告をすべきだ。記録を事実として列挙して知らせれば十分だ。
 野球に限ってみると、日米では経営などの経済面の差がある。MLBは30球団がまとまって、方向性を持っている。放映権もMLB単位で決まるが、NPB(日本)は放映権も経営も球団に大きく依存する。日本の放映はキー局や地域のTV局に依存する。それは現段階では致し方ないことだ。それを克服するのはNHKの役割だ。しかし、その放映思想は地方のローカル局と変わらない。
 NHKは今や日本の野球を支援するよりは、アメリカのMLBのお抱え機関だ。日本の選手の試合を流しているつもりであろうが、メジャーのチームの勝敗には大半の視聴者は関心ない。選手の活躍を報道していると思っているのであろうが、特定の選手の試合に偏りすぎて、″公平〟を旨とする責任を果たしていない。日本の早朝の空き時間帯を埋めていると思っているのであろうが、それは自己都合だ。BS・2チャンネルの放映を今年から中止したが、チャンネル権を手放さないのであれば、これを有効に使うべきだ。もちろん、NPBの意向もあり複雑なこともあるが、大半関係のないMLBの営業戦略に利用されるばかりではなく、日本のスポーツや選手の勇士を映してほしい。

日銀、マイナス金利政策解除

 日銀の植田総裁がマイナス金利解除を発表した。「大規模緩和は役割を果たした」として、17年ぶりに0~0.1%利上げに舵を切った。具体的には
①マイナス金利解除
②イールドカーブコントロール終了
③ETF(上場投資信託)・REIT(上場不動産投資信託)購入終了
①は2016年に導入していた。②は長短金利操作とも呼ばれ、長期金利と短期金利の誘導目標を操作し、イールドカーブを適切な水準に維持することを指す。イールドカーブとは、債券の利回り(金利)と償還期間との相関性を示したグラフで、横軸に償還までの期間、縦軸に利回りを用いた曲線グラフのこと。市場安定のために購入していたが終了した。
 経済活動を経験している40~50代の人は低金利の時代を生き、預金することのメリットを感じることなく生きてきた。また、企業経営をする人々は、金を借りることの怖さを実感することなく経営してきた。経済活動を核となって行う壮年層は、金の有難さや怖さを真に味わうことなく生きてきた。これからは真に経営力の有無が問われることになる。
 30年に渡るデフレの時代に幕を下ろすことができるか、これから求められる。賃上げが実施され、喜ぶ半面、物価の上昇に対処しなくてはならない。経済は物価の上昇と賃金の上昇の両輪が伴わない限り、発展しない。デフレで安易に慣れてきた体質を、インフレに立ち向かう体質をつけなくてはならない。メディアも物価高で苦しいとばかりの報道ではなく、それに立ち向かい工夫・研鑽する姿勢を報道しなくては時代暮れのユーチューバーで終わってしまうだろう。