評論家は、メリットもデメリットを話せるようになれ

岸田内閣の経済対策の一環として、18歳以下への10万円給付がある。世帯主960万円の条件が付いている。半額はクーポンにする。
これを語るメディアや評論家などは例によって、批判的な意見を語る。何事にも意見があり事情があるのであるから、批判があるのは当然だが、賛成もあって当然である。そうであれば職業評論家は、客観的に事象のメリットとデメリットを語らなくてはその資質が疑われるだけでなく、雑音と言う公害をまき散らすだけに終わてしまう。与野党が無理を承知で、賛否のゴリオシしているのとは立場が違う。メディアに招かれる評論家やジャーナリストは客観的な意見を求められているのであるから、その責任は果たして欲しい(なかには偏向した意見を言ってほしく思っているメディアもあるが……)。
・給付しないと、無策と言う。給付するとバラマキと言う。
・全員に給付すれば、困った人に絞れという。条件を付けると不公平と言う。
・公平になるよう手をかけると、遅いという。
・世帯に960万円以下が複数いれば、不公平と言う。確かにそうだが今すぐ確定申告するのか?
・消費に回らないからクーポンにする。クーポンは諸経費が掛かるという。どこまでの商品がクーポンの対象かわからないと言う。
酷いのは緊急の経済対策であるにもかかわらず、永続的な措置と勘違いしている。緊急措置はその名の通り、速さが求められる。メディアに登場する人には、明日の1万円より今日の千円が大切な感覚が解っていない。

クイズ番組に思うこと

クイズ長寿番組の「アタック25」が終了した。何年続いたのか定かではないが、何事もいつかは終わるのが定めである。この番組の最大の功労は素人の一般視聴者を対象にしたことであろう。クイズ番組は減少傾向であるが、ネタが減少したことも一因があるのだろうか。なかには視聴覚に訴えたクイズを考案しているのもある。色々多角的に企画して楽しませてほしい。
昨今のクイズ番組の特徴は、タレントや芸能人を回答者にしたものだ。この種の人が出演する番組の特徴は、いつの間にか視聴者が横に置かれ出演者が主体となって楽しんでいることである。楽しさを演出している気であろうが、度が過ぎると見ていて白々しくなる。いつの間にかクイズの質がタレントの知的レベルに合わされてしまう。視聴率重視のタレント起用ばかりでなく、素人の実力を見せてくれる本来の知性と雑学を期待する。

日本のエネルギー確保

COP26が閉幕した。焦点の石炭火力は「廃止」から「削減」に緩和された。地球環境にとっては一歩後退だが、現実的には致し方ない。日本の取り組むべき分野は、再生エネルギーと原子力発電がキーとなる。
原発は稼働中止になっているものが多くある。火力を減じるためにも、保有している原発は再稼働すべきだ。同時に原子力技術は確保しなくてはならない。小型原子炉は研究開発しなくてはならない。世界初の被爆国として、核に対する拒否反応は強い。それと核技術保持は別の問題だ。安全技術の追求と同時に、有効利用を考えた施策が必要だ。今の国際情勢下では、安全保障の観点からも核技術は必要だ。保持している核燃料は使い捨て出来るものではない。利用サイクルの確立が必要だ。
再エネ発電には、太陽光・風力・バイオマス・地熱などがある。太陽光・風力は中国やEUなどにコスト面で不利となっている。当面は依存をしなくてはならないであろうが、日本の技術力は克服できると信じる。パネルのコストダウンが必要だ。また国土への設置で地理的問題がある。太陽光は平面的に場所が必要で、有効設置と環境・美観で不利だ。風力は風が弱く一定しない問題があるが、平面的に狭く垂直利用が可能だ。美観には難があるが周囲を農業利用できる。塔の周囲に太陽光パネルを巡らせば、発電が向上する。過疎化に悩む自治体には適したスタイルであり、有効な財源にもなる。
新築される建物を含め、補助は必要だがパネルの設置を義務付けるべきだ。エネルギーは国の根幹だ。輸入が難しいし、発電原料を海外に依存しすぎると、国家安全保障が脅かされる。地球のためにも原発が稼働できる間に太陽光・風力発電体制を整備すべきだ。

中国について知っておくべきこと–〝国は個人のモノである〟

中国では6全中会が終わり、「歴史決議」が発表される。毛沢東、鄧小平以来である。習近平の異例の3期目も確実視される。慣例や決まりを破る行いと言っても、かの国では関係のないことのようだ。
我が国などで、このようなことをすれば次の選挙で国民は許さないであろう。韓国であれば弾劾されるであろう。なぜなら国民が選挙で選ぶシステムだからだ。しかし中国ではそうではない。国(?)は国民のモノではなく、共産党の持ち物だからだ。国民の選挙で選ばれた公的代表が最高権力者ではなく、私的機関共産党で選ばれた代表が権力者だからだ。日本では与党の権力者が横暴を働くと、選挙で他党が取って代わるであろう。中国では国民は何もできないのだ。9500万人党員と人民軍と警察などの前に国民は何もできない。できないどころか協力するしかないのが現実だ。江戸時代の〝藩〟の実態に近い。殿さまに家臣は逆らえないし、民百姓は論外だ。藩は他藩を侵略することはなかったが、中国は他国に進出する。
公的機関であれば贈収賄がはびこれば罪になるが、私的機関であれば上が許せば罪にならない。上は自分の都合で罪にも論功にもできる。そうやって習近平は自分を「核心」に祭り上げた。それが不自然でないのが中国だ。そのような国(?)と対峙するのがいかに難しいものであるかを理解すべきだ。我が国の感覚で物事を考えられないことを理解しなくては、後の祭りになる。

メディア、ジャーナリスト、コメンテーターなどは、自身を総括してみては

先の衆議院選挙では、事前の予想に反して自民党は大勝利し立憲民主党は惨敗した。大方のメディアやジャーナリストは結果の逆を予想し、期待していた。予想は外れるものとは言え、分析力の欠如は否めない。自信がないのなら、期待だけでものを言わぬことだ。そう、昨今のメディアなどは自分の方針と期待で、国民を誘導しようとすることが甚だしい。それがいつしか民意を見間違えるようになった。
間違う原因は、ひとえに勉強・研究・愛情不足だ。言い換えれば変化に対応できない、固定概念に縛られた固い頭だ。またそれを許容しない固執した組織だ。世界を見て、揺り動く国際情勢を理解すれば、何を言いどう提案すべきか判ってくるはずだ。些細なゴシップを追い回している場合ではない。本当に国のことを考えれば、これまでの自身を総括して再スタートする必要があることは分かるはずだ。

中国の変化(人口政策版)

中国では1970年代急激な人口増加が進み、社会の未成熟な中での増加に危機感を持った。
・一人っ子政策(1979~2014)
夫婦には原則子供一人と決められた。強権的に実施された政策は効果も上げた。しかし弊害も生まれた。若年労働者の減少が見えてきた。若者の減少は社会の活力を弱める傾向がある。男の子を期待する欲求から、女の子であれば堕胎もされた。若者の男女間人口格差は、結婚を含む社会問題に発展した。
・二人っ子政策(2015~2021)
二人までは許すことにした。しかし厳しい生活は、もはや2人の子供を養う活力も失ってきた。35年間の一人っ子政策は、一人の子しか望まないし、育てられない社会になっていた。
・出生制限撤廃(2021~)
子どもの増加を狙って、制限を撤廃した。しかし、一部の富裕層以外には請けいられそうにない。

少子高齢化社会の到来に備えて子供の増加を目指すが、経済的基盤や国民の身軽さ指向から、行く先は不透明だ。

SDGsって、大食い・無駄食いすることなの?

SDGsと言う言葉は最近よく聞くようになった。メディアが取り上げることは良いことだ。COPと並んで地球に優しくあって欲しいものだ。SDGsは多岐にわたり難しい面もあり、中身がよくわからない点も多いが、食品の無駄を無くそうと考えると身近だ。テレビなどで地方の特産品や珍しい食べ物や奇抜な調理法などを紹介することは素晴らしい。
問題はそのメディアが、食品ロスを無くそうと言っているその側で、食品ロスを視聴率アップのために大々的にやっていることだ。大食いチャンピョンをタレントに仕立てたのもテレビだ。必要以上に、紹介と称して無駄食い番組を流しているのもテレビだ。公的・公平機関の役割を持って欲しいにもかかわらず、特定の店舗・企業を必要以上に紹介しているのもテレビだ。
タレントやアナウンサーをSDGs大使と称しながら、大食い・無駄食いをする番組に起用しているメディアに至っては国民を”コケ”にしている。

衆議院選挙で立憲民主党が敗れた理由

立憲民主党は14議席減らして敗れ、枝野代表が辞意を表明した。それには賛否があるが、自民党的発想をすると辞めるべきで、共産党的発想をすると辞めるべきでないとなる。要するに人材の豊かな党と乏しい党による帰結だ。増して重要なのは、民主的体質と独裁的体質の差だ。
立憲と共産は候補者の調整をする合意をした。小選挙区においては票を得ることでは効果があったが、比例区における純粋な支持票は制度の通り反映され伸びなかった。細かい事情には効果があったが、大筋では逆効果であった。何故か? 国民の大多数は左派にはなじめないからだ。共闘によって立憲はより左寄りに見られ、共産は元々左だ。国民はソ連が嫌だったし、中国のそれに不安を抱いている。初めから選挙には負けていたのだ。
日本共産党は世界のそれがそうであったように独裁専制的党運営をしている。党自身が政権を取れると思っていないし、その結果批判に徹して、理念を捨てず生き続けることに活路を見出している。立憲・枝野は自分一人で結党したと思っており、共産党流の党運営してきた。巷で”立憲共産党”と揶揄されるのも自然だ。
大多数の国民は、政策云々の前にその体質が嫌だしついていけない。それが解ってか分からないでか、”政権選択選挙”と言ってしまった。政権を取ることを国民が喜ぶはずがない。結党して数年の党に、批判だけで中身のない党に付託するバカはいない。草の根を食んで時間をかけて謙虚に研鑽しないと国民は振り向かない。

願望で、自分を見失ったメディアーー衆議院選挙

衆議院選挙が終わった。結果としては自民党261(-15)、立憲民主党97(-14),公明党32(+3)、日本維新の会41(+30)、共産党10(-2)、国民民主党11(+3)などであった。自民党は大勝利、立憲は惨敗、維新は躍進である。
大方のメディアの予想では自民240,立憲130,維新35程度が大半であった。要するに維新以外はことごとく外れたということだ。透けて見えたことは、自民が負けて立憲が勝って欲しいという、本来はあってはならないメディアの願望による予測であった。ゆえに野党が批判ばかりで、できもしない公約にメディアは検証して批判もしないで応援をしていた。甘利幹事長が小選挙区で敗れたことを、まるで勝利を得たかのように錯覚している。重箱の底をつつく手法や批判が正義だと勘違いして、日本のまた国民の利益を損なっていることに気が付かなくなっている。気が付かないことも罪だし、気づいていても願望で押し通してしまうことも罪だ。ましてや民意を操作するなどもってのほかだ。
あれほど民意を無視すると批判していたメディアも野党も、結果的には自身が民意を軽視し続けていたのだ。国際情勢は風雲急を告げている。そろそろメディアは日本の行く先を応援するべきである。政府を批判するばかりでなく、自社の執行部の首を挿げ替えて国難に対処する組織にすべきだ。いつまでも昭和の安保の発想でいてはならない。

所得格差は本当に広がっているのか?

昨今、所得格差が広がっているという意見が多い。衆院選挙に乗っかて、増々加速されている。しかし、その具体的数字は誰も示さない。言葉の上で上滑りしているのではないのか。政治家もメディアもそれを具体的に示して議論して欲しい。
そもそも所得格差は共産主義国でない限りあって当然のものだ(皮肉にも共産主義を歌っている国でも大きな所得格差がある)。生物の世界では獲物(所得)格差があるのが当たり前で人間も同様だ。自然の摂理を無視して、在りもしない・できもしない問題にいたずらに時間と労力を費やしている。
日本はかつてのような経済的勢いがなくなった。GAFAなどや金融資産家もほとんどいない。世界のそういった人たちを念頭に、日本の一般庶民の所得が少ないと嘆いている。錯覚しているのだ。日本はアメリカや中国のようには、自国だけで完結して国勢を維持できる国ではない。グローバル経済の中で貿易立国であるしかない。自分を富ますため・国を富ますためには世界に通用する企業が必要だ。大企業が儲け過ぎだ、内部留保をため込むと言ってばかりいる状態ではない。世界に羽ばたく企業を多く、いろいろな分野で育てなくてはならない。そのためには世界に通用する企業を産業を育てなくてはならない。目先だけにとらわれて、稼ぎ手の足を引っ張手はいけない。
30年の停滞は、守りに追われ冒険を恐れる体質を企業も国民も身に着けてしまった。精神論になって申し訳ないが、意識改革が必要だ。生き物として自分は自分で守るしかない。まるで国が自分を守ってくれるのが当たり前という甘えの構造になってしまった。文句を言う前に、自分の所得を増やす努力をすべきだ。それでもダメだった場合に初めて国(国民)の世話になればいい。生活保護制度は立派にある。
日本は先進国の中では世界一所得格差が小さい貧乏な国なのだ。所得格差を批判する人は、上には上があり、それを目指すチャンスがあることに感謝すべきだ。