少子化問題--〔3〕経済力

 日本経済は30年の停滞をした。それに伴って、賃金も停滞したと言うよりは低下した。デフレで物価が下がった時代で低賃金も目立たなかったが、昨今のインフレ気味は生活苦を感じさせる。また正規と非正規の労働者の格差ができ、特に非正規の生活は苦しい。
 昭和の時代は男一人の収入で、平均子ども2人の一家を養っていた。「給料が良かったからできた」というが本当であろうか。確かに現在一人の給料は安いが、二人分を合わせると本当に昭和の時代よりも低いのだろうか。平均的家族(30代)で昭和のバブル期でも年収600万円前後だったろう。現在の二人の男女の合算年収と大差はないのではないか。家庭の収入が低いと言うのはメディアのデマだし、個々人の知識の欠如だ。貧しさを乗り切るため、家族のために多くの子供を設け、今の苦労を将来の歓びに代えた先人たちを習ってみてはどうか。
 現在の人たちは、これまでで最高の時代に位置しているかもしれない。圧倒的〝人手不足〟で、職種を選ばないと必ず働き場はある。昔ほどコンスタントに賃上げは無いが、転職に対する世間の目は無くなった。職種と転職という足かせが無くなったことだ。自分に合った仕事を選べばよいし、能力を付けて新たな新天地を求められるのだ。なんとも羨ましく自由平等な時代なことか。
 問題は特に若者が与えられている強靭な体力と可能性のある頭脳を鍛え続けているかである。青春時代に将来のために投資する生活をしないから、暗い将来を考え前進しようとしないのだ。ひとりで悩むよりは伴侶を持つことで覚悟と責任感を持ち、目先の経済力は克服できるのに。

重大事態--中国、失業率発表停止

 中国が失業率の発表を停止した。6月には21.3%であったが実態はそれどころではないと言われていた。特に問題なのは若者の失業率であるが、統計方法を変更するために発表しないとした。今度はいかなる方法で胡麻化そうかと、方法が見つかるまで発表しないつもりなのか。若者の半数近くが失業状態と言う噂もあるが、当たらずとも外れていない数字だろう。にも拘らず、表面上は落ち着いているのは元来考えすぎない国民性だろうか。
 地方出身者は帰省し、失業率の計算から除外される。従って都市の失業者ははるかに悲惨なことであろう。国民の不満のクッションとなっているのは、一人っ子であることが作用している。つまり親の脛をかじっているからだ。彼らはバブルのお陰で資産は比較的持っている。しばらくのんびり寝そべる気であろう。しかし、いつまでも続けられない。
 問題は未婚の若者だ。余り結婚に気の進まない若者が多くなっている上、さらに避けるようになるであろう。そのうち資産も食い尽くして、あきらめに変質する。〝金の切れ目が縁の切れ目〟を地で行くのが中国と言う国だ。貧困層に起こていた事態が、富裕層へと侵食していく。忠・孝を説く儒教の生まれた国だが、その忠・孝が消滅している国が中国だ。貧困は忠・孝を子供に課せたくないと考えさせる。勢いこの世を自分の代で終わらせようと思うことが進行する。
 今、中国経済は最悪な状態だ。不動産崩壊などは隠しきれずに発表するが、それはほとんどの業種に及んでいる。本当の失業率を発表すれば、内外で避難活動が活発になり、資本は流出する(既に始まっているが……)。台湾併合などと、のんきな支持率保持策を言っているなど論外だ。団体旅行が許可されたが、以前のような爆買いは無くなるし、インバウンドも期待しすぎてはならない。旅行関係者は過大な設備投資はしないことだ。進出企業も片尻浮かして、世情を凝視しなくてはならない。

リベラル(革新)とは名前だけで、実体は保守の権化

 社会主義・共産主義と言えば左派でリベラル派と思われている。中国・ソ連(ロシア)・ベトナム・キューバなどの現在かつて)の共産主義国は、果たしてリベラルな国だろうか。当然、「否」という言葉が当てはまるであろう。明らかに保守的な国だ。保守的と言うよりはむしろ権威主義的な国と言う方が的を得ている。1世紀も前、ユートピアとして持てはやされた社会主義と言う概念は、100年の齢を踏んで権威主義と言う思想とは無縁の専制国家に変質した。
元々、社会主義は国を治めきれないことを回避するために採用された国家主導の専制主義であった。本来の社会主義が実現するためには、民主主義が育たないと叶わない。それが現実であるから、民主主義が育たない国は方便で利用して権威主義の国になった。いまの世では権威主義は保守主義そのもである。リベラルと言う美名が恥ずかしい。
立憲民主党や日本共産党が日頃行っていることを見ると、如何に保守的であるかが分かるであろう。戦後、押し付けられた憲法をいつまでも後生大事に守ることなど、気の遠くなるような保守である。戦後から成長をしない、まるで化石のような頭である。憲法改正を考えているのは保守と言われている自民党で、反対しているのはリベラルと言われている立憲民主党・共産党である。現実は全く逆で革新的な自民党、保守的な左派政党である。国防を放棄する左派政党に、国を任せるわけにはいかないのは自明である。国が発展することを阻む保守的な左派政党は、終焉を迎えるであろう。かつて日本社会党が崩壊し、社民党になり、今は事実上崩壊しているように……。
終戦記念日を迎え、不戦の決意を新たにすべきは当然であるが、権威主義の効率性は個人の発狂で、いつ武力侵攻をするか解らない。ただウクライナ情勢を報道するだけでなく、発狂の事実とそれに対応するために必要なツールを具備すべきで、いつまでも保守一辺倒ではならない。

少子化問題--〔2〕男女平等と自由平等

 男女が平等であることは、基本的人権として当然の姿である。ここで言うのは動物として人間が未来に繋がるための、各々の役割だ。多くの動物は、雄が外敵から守り食料を確保する一方、雌は子を育て子孫を残す。つい先日まで、人間もそうであった。長い間の本能システムを一夜で変更しようとしているのが、現在の人間だ。無理な焦った行動をしていることを前提に〝男女平等〟〝自由平等〟を考えなくてはならない。
 男女平等になって起きたことは、一般論として――男は多くは変化しなかったが、家事・子育てを負担し、大黒柱としての威厳を失った。女は家事・子育てが軽減し、働く・遊ぶ自由を得て激変した。自由と平等が機能すれば、男女が中性になることは必然だし、LGBTなどのように少子化の要因が増えることも必然だ。結果としては男が負け女が勝ったと言えるが、それも必然だ。少子化問題は〝子孫を残す〟ことと〝男女平等〟との矛盾を解決しなくてはならない。
 女性は子供を産むことにより仕事を中断(昔の女性は大きなお腹を抱え、産後も間もなく農作業をしたが、「そうせよ」と言うべきではない)する。企業は彼女の復帰を支援しなくてはならないがコストもかかる。変化の激しい時代であるから、休暇がハンディを作る。勢い変化の少ない仕事を任せることになる。ここで〝差別〟という言葉が出てくる。差別と言われるくらいならば初めから雇わない、と考えることを悪とは言えない。
 男性は子育てを拒みはしないが、休職まですることを恐れる。周りの目を恐れることもあるが、取り残されることを恐れる。
 企業は従業員に育休の罪悪感を持たせない運営を求められるが、人手不足になる将来はそうせざるを得ないことになる。生産力を上げて対応することだ。問題は自由と平等を手に入れた人の行動と思考だろう。変化に対応できる頭脳と意識を維持しない限り将来は無い。少子化問題は意識改革の問題だ。

マイナカードの資格証明書

 岸田文雄首相が、現行の健康保険証を廃止してマイナンバーカードと一本化する方針と、来年秋に保険証を廃止するスケジュールを現時点では維持する考えを示した。マイナカードを持っていない人などが保険証の代わりとして発行する「資格確認書」については、マイナ保険証を持たない人全員に交付する考えを示した。「資格確認書」の有効期限について、政府はこれまで「最長1年」とする方針だったが、「(健康保険組合など)それぞれの保険者が5年を超えない期間で決めることになる」と述べた。
 有効期限を5年までも伸ばすことは、逆に混乱を恐れて制度も逆行を招くし、2重路線を敷くことになる。市町村や医療の現場が混乱し、反って忙しくなるという意見があるが、それは目先の事しか考えないエゴともいえる。元々この制度は、複雑化している個人情報を一本化し現場作業の軽減を目指しているものだ。いつまでも旧態依然としたシステムで進歩しないで「忙しい、忙しい」と不平を漏らしていることを、改善することが目的だ。
 移行時には作業の多忙や混乱やミスは伴うものだ。ここまで今の様にただ単に、興味本位で報道しては混乱の張本人は現場の一部とメディアと言わざるを得ない。国民は反対している正体がいかなる人種かを知る必要がある。
 首相は党内調整や支持率も気になることは解る。政治家が意に反した判断が求められることも理解できる。数々の成果を上げているにも関わらず、支持率が上がらないのであれば、自分の意思を貫いて政治家としての本分を示してみてはどうか。案外、国民はそれを求めているのではないか。

 コロナ・コロナで騒ぎ混乱停滞して2年……。今度は、マイナ・マイナで騒いで1年。どこまで日本は逆戻りをするのか。

少子化問題--〔1〕人間も動物である

 ルソーの言葉に「人間は考える葦である」がある。それは間違いである。「人間は考える動物である」べきだ。昨今の日本人は植物化が激しい。植物は自分だけで子孫を残せないが、動物は自分で子孫を残せる。植物も動物も子孫を残す努力を怠ることは無いが、唯一人間だけが怠っている。
 科学的事実として、生殖行為は減少の一途だし、精子数の減少は激しい。一回の射精での数が少ないから競争が減り、強い精子ができない。つまり軟弱な子供が生まれる。その原因究明は科学者に任せる。食品のインスタント化によって、化学物質を取り込んだ後遺症も間違いなかろう。
若者が性交活動を行う場を失って、訓練不足などで精子力が弱体化しているし、内に閉じこもって不活発な植物化をしている。植物はミツバチ(仲人)がいないと子孫を増やせない。動物は自分で行動し子孫を残す。日本人は狭い範囲に留まって、ミツバチを待っているが、悲しいことにミツバチが激減している。
 一握りの凶悪な行為により、性問題はますます圧迫される。取締りの緩和を求めている訳ではない。ただ無難を求める若者がますます閉じこもる。性犯罪者は動物を維持しているが、一般の多くは植物を知らぬうちに目指している。健全な動物として生きられる社会を総力を結集して築かなくてはならない。

中国人に世界の常識を知らせよう

 中国が団体客の訪日を許可した。インバウンドの恩恵を願うには良いことだが、今はただ金儲けだけの時代ではない。中国人を覚醒させる気概を日本人は持たなくてはならない。
 いつまでも自分の方が多くの汚染水を放出していることは棚に置いて、福島原発の処理水の放出に文句を付けている。核拡散防止条約(NPT)再検討会議も日本を支持しているが、中国は孤立しロシアと結託し質問書を出すしかできない寂しさだ。欧州各国が禁輸の解禁を行ているのに、ヤクザのインネンのように福島周辺の食品の輸入を禁じている。開いた口が閉じられないのは、東京・埼玉・長野で生産されたグミやチョコレートにまで今回輸入を禁じ没収した。最早、狂った何とかだ。せっかく訪れたのであれば、是非前述のチョコレートなど食べてみて欲しいものだ。土産に買って帰って、皆でおいしく食してみてはどうか。
怒っていてばかりでは大人げない。我々国民の仕事は訪れてくれた中国の人に、日本の良さは勿論、自分から率先して侵略する意思など持ち合わせない事や世界のスタンダードな考え方・行動はどのようなものであるかを味わってもらいたい。観光旅行ができる層であるから実感に乏しいであろうが、確実に中国の経済が低下していることぐらいは実感しているであろう。今中国は他国と争うことに血道をあげることではなく、国内を立て直さなくてはならない困難な時期に直面していることを解ってもらえたら、訪日の成果がより揚がるであろう。

 中国からの訪日客は今後増加するであろうが、余り本気で喜びすぎることはどうであろうか。のめりこみ過ぎないで、冷静に対処すべきだ。

土地の私有を求める共産主義者

 成田空港を利用する時、滑走路とターミナルを行き来する飛行機から奇異な風景を見る。ぽっかりと狭い空間が私有地として残っている。飛行機の往来には厄介な空間である。これが三里塚芝山連合空港反対同盟と4人の一坪所有者のものである。開港して半世紀、未だに解決していない土地問題。
 彼らは80歳前後の年齢を刻んでいる。若者としての正義感で反対闘争を行い、いつまでも主義主張を貫いていると自負している。やり方・道を変えれば前向きな社会貢献をすることもできたであろうに、むなしく人生を終えることになる。土地を国有化し市民に貸与することが旨の共産主義者が、土地を私有することに拘っている。
 一度始めたことは善悪に関係なく、やり続けなくてはならなくなることの悪いケースの一例だ。最早ことの善悪は関係なくなり、続けざるを得ない泥沼にはまっている。更に悪いことに、ここまでくると自分を美化する心理が働き人の言う事ばかりか、世の中に対する真理が狂ってしまう。
 ロシアのプーチンも欲望と正義心と恐怖から、ウクライナ侵攻を停止できない泥沼に陥ているが、根は三里塚闘争の様に些細な出来事を自分だけで大儀化しているだけだ。

前進しようとしない国民意識--マイナンバー制度

 岸田首相が保険証の廃止判断を先送りし、資格証明書を発行すると表明した。当初は24年秋に廃止としていたが、国民(?)の反対での対応である。政治家は国民に選挙という人質を取られている訳で、思う事ばかりできない宿命を持っている。人生で政治を貫こうとすると、朝令暮改をせざるを得ないこともある。メディアや国民はそれを利用して、政治を左右するが、昨今は政治ではなく批判や遊び心で偏向的利用が過ぎる。
 日本は経済で停滞し各国からも追いつき・追い越されいる。それは分野によっては先進国のみならず、途上国からも先越されている。その一つがデジタル技術の活用で、まともに生産性を直撃している。毎日、汗水して忙しく働いているがいつまでも生産性は上がらない。いまだにしなくてはならないことと、しなくても良いことが区別できない。チャットGPTなどの生成AIの言葉が流布して、ほのぼのと理解してきたが、AIに仕事を奪われるという恐怖心だけで、なんら対応行動が打てない。
 アメリカ・中国・韓国などは早くから国民番号を持っている。中国は厳格に統制され点数制度もあり悪用もしている。アメリカはいわゆる普通か。韓国は早くから利用し、トラブルも多いが国民はあまりそれを気にしない。日本で問題化した押捺をそれ以前から実施しスマホでの活用を早めている。インドは瞳孔登録などしてかなり進んでいて、そのシステムを途上国へ提供している。要するに、世界はつまらぬ作業をしないで効率的に運営でき、生産性を上げるための重複作業や複雑性を排除しつつあることだ。デジタルはこれまでのノウハウを持たない途上国を、一気に先端デジタル技術利用を可能にするし、アナログ思考から抜けきらない日本を置き去りにする。
 システムの変更にはトラブルが伴うものであり、それを乗り越えて初めて進歩する。やってみもせず机上の空論や偏見や既得権への固執などを理由に反対する。国民は変化することが嫌で怖いのだ。大半のメディアは反日で、進めようとする政策の中身ではなく、批判するために報道する。世界はどうこう言いながら、世界に取り残される報道で国民を騙す。マイナ制度のメリットを報道する番組を見たことがない。
 現行の保険証を残して並行して使えばいいなどと言う意見は、重複して混乱を増やすのみならず、現場を混乱させるだけで新しい社会に移行する必要を全く理解していない典型だ。マイナンバー制度も寛容に受け入れて、早期に完成させないと、現場は意味のない仕事を繰り返し、気が付けば取り残された浦島太郎になる。

子供文化の成熟度で差が付く団体競技

 女子サッカーW杯が開催中だ。日本はGS(グループステージ)を3戦3勝で突破した。決勝トーナメントでも活躍を期待する。中国・韓国は勝つこともなく敗退した。根性を売りにする韓国だが、男女とも成長に乏しいし、男子はむしろ衰退している。中国は当然のように敗退した。
 個人競技は、どこの国にも傑出した選手は生まれる可能性があるから、途上国からも出てくる。勿論、これまでの競技との関りの差と歴史でも差異が出る。サッカーに話を戻すと、強国は欧州・南米・アフリカなどに多く、アジアは全般的に弱い。アフリカは意外に見えるが持ち前の強靭な身体能力を生かした個人が欧州でもまれて自国に持ち帰ったことによる。アジアは経済的に貧困でスポーツへの投資段階でない国がほとんどだ。
 アジアの中で中国・日本・韓国は経済的には発展し、スポーツでの生業が可能になった国だ。オリンピックなどでのメダルの獲得数も結構多い。日本と中韓の違いは団体競技の成熟度だ。中韓の活躍は個人競技に特化している。日本は充分とは言えないまでも団体競技でも世界に後れ過ぎてはいない。
 日中韓共に長い歴史を持ち文化も持つ。国特有な俗にいう文化はさておき、子どもに対する文化の差は大きく反映される。3国はいずれも少子化の真っ最中だ。中国は〝一人っ子政策〟などにより子供文化を築くことなく、一気に高齢化社会に突入した。韓国は利己主義が強く急激な少子化を迎えたし、そこにも子供文化は開花しなかった。団体競技は子供文化が成熟しないと強くなれない。なぜなら、スポーツの多くは若者の競技だから。
 日本は比べれば、先行発展し十分と言えないが子供文化も育った。その結果が反映されている。しかし、現実は他人ごとではない。このまま進めば、目を覆いたくなるようなスポーツを見るしかなくなる可能性が高い。子供文化を支えると期待される若者が、期待に応えていない結果が少子化を生み自身の老後を自分で破壊する。